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[资源共享] 村上春樹 海辺のカフカ 上巻(完結)

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发表于 2015-2-15 13:59:19 | 显示全部楼层 |阅读模式

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本帖最后由 转动历史时刻 于 2015-2-16 15:54 编辑

海辺のカフカ 上巻
村上春樹

カラスと呼ばれる少年

「それで、お金のことはなんとかなったんだね」とカラスと呼ばれる少年は言う。いくぶんのっそりとした、いつものしゃべりかただ。深い眠りから目覚めたばかりで、口の筋が重くてまだうまく動かないときのような。でもそれはそぶりみたいなもので、じっさいには隅から隅まで目覚めている。いつもと同じよに。
僕はうなずく。
「どれくらい?」
もう一度頭の中で数字を確認してから、僕は答える。「現金40万ほど。そのほかにカードで出せる銀行預金も少し。もちろんじゅうぶんとはいえないげど、とりあえずはなんとかなるんじゃないかな」
「まあ悪くない」とカラスと呼ばれる少年は言う。「とりあえずね」
僕はうなずく。
「でもそれは去年のクリスマスにサンタクロースがくれたお金じゃなさそうだね」と彼は言う。
「ちがう」と僕は言う。カラスと呼ばれる少年は皮肉っぽく、唇を軽く曲げてあたりを見まわす。「出どころはこのあたりの誰かの引き出し――というところかな?」
僕は返事をしない。もちろん彼は最初からそれがどういう金なのかを知っている。まわりくどい質問をするまでもなく。そういう言いかたをして僕をからかっているだけだ。
「まあいいさ」とカラスと呼ばれる少年は言う。「君はその金を必要としている。切実にね。そして君はそれを手に入れる。借りる、黙って拝借する、盗む……なんでもいい。どのみち君の父親のお金だ。それだけあればとりあえずはなんとかなるだろう。でも、その40万円だかなんだかを使い切ってしまったときはどうするつもりなんだい?だて財布に入れたお金が、森のきのこみたいに自然に増えていくわけはないんだからさ。君には食べるものも必要だし、寝るところも必要だ。お金はいつかなくなる」
「そのときはそのときで考える」と僕は言う。
「そのときはそのときで考える」と少年は手のひらにのせて重みをはかるみたいに、僕の言葉をそのまま繰りかえす。
僕はうなずく。
「たとえば仕事をみつけるとか?」
「たぶんね」と僕は言う。
カラスと呼ばれる少年は首を振る。「ねえ、君はもっと世間ってものを知らなくちゃいけないよ。だってさ、15歳の子ども遠くの知らない土地で、いったいどんな仕事を見つけられると思うんだい?だいたい君はまだ義務教育だって終えていないんだぜ。誰がそんな人間を雇ってくれる?」
僕は少し赤くなる、僕はすぐ赤くなる。
「まあいいや」とカラスと呼ばれる少年は言う。「まだなんにも始まってもいないうちから、暗いことばかり並べたててもしょうがないものな。君はもう心をきめたんだ。あとはそれを実行に移すだけのことだ。なにはともあれ君の人生なんだ。基本的には、君が思うようにするしかない」
そう、なにはともあれこれは僕の人生なのだ。
「しかしこらから先、君はずいぶんタフにならないとやっていけないぜ」
「努力はしている」と僕は言う。

 楼主| 发表于 2015-2-15 14:00:06 | 显示全部楼层

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「たしかに」とカラスと呼ばれる少年は言う。「この何年かで君はずいぶん強くなった。そのことを認めてないってわけじゃないんだよ」
僕はうなずく。
カラスと呼ばれる少年は言う。「しかしなんといっても君はまだ15歳なんだ。君の人生は、ごく控えめに言って、まだ始まったばかりだ。君がこれまで見たこともないようなものが、世界にはいっぱいあるわけさ。今の君には想像もできないようなものがね」
僕らはいつものように父の書斎の古い革のソウファの上に、並んで座っている。カラスと呼ばれる少年はその場所が気に入っている。そこにある細々したものが彼は大好きなのだ。今は蜂のかたちをしたガラスの文鎮を手の中でもてあそんでいる。もちろうん父が家にいるときには近寄りもしないけど。
僕は言う。「でもなにがあっても、僕はここから出て行かなくちゃならないんだ。それは動かしようのないことだよ」
「そうかもしれない」とカラスと呼ばれた少年は同意する。文鎮をテーブルの上に置き、頭の後ろ手で組む。「しかしそれですべて解決するわけじゃない。またまた君の決意に水を差すようだけど、どれほど遠くまで行ったところで、君がうまくここから逃げだせるかどうか、それはわかったものじゃないぜ。距離みたいなものはあまり期待しないほうがいいような気がするね」
僕はあらためて距離について考える。カラスと呼ばれた少年はひとつため息をつき、それから指の腹で両方の瞼の上を押さえる。そして目を閉じ、その暗闇の奥から僕に語りかける。
「いつものゲームをやろう」と彼は言う。
「いいよ」と僕は言う。僕も同じように目を閉じ、静かに大きく息をする。
「いいかい、ひどいひどい砂嵐を想像するんだ」と彼は言う。「ほかのことはぜんぶすっかり忘れて」
言われたとおり、ひどいひどい砂嵐を想像する。ほかのことはぜんぶすっかり忘れてしまう。自分が自分であることさえ忘れてしまう。僕は空白になる。ものごとはすぐに浮かんででくる。いつものように僕と少年は、父の書斎の古い革の長椅子の上でそのものごとを共有する。
「ある場合には運命というのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている」とカラスと呼ばれる少年は僕に語りかける。

ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。君はもう一度足どりを変える。すると嵐もまた同じように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰りかえされる。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係ななにかじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなんにかなんだ。だから君にできることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏みいれ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおりぬけていくことだけだ。そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、あるばあいにはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が高く舞っているだけだ。そういう砂嵐を想像するんだ。

僕はそんな砂嵐を想像する。白いつまさきが空に向かって、まるで太いロープのようにまっすぐたちのぼっている。僕は両手で目と耳をしっかりとふさいでいる。身体の中にその細かい砂が入ってしまわないように。その砂嵐はこちらをめがけてどんどん近づいてくる。僕はその風圧を遠くから肌に感じることができる。それは今まさに僕を呑みこうもとしている。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:00:34 | 显示全部楼层

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やがてカラスと呼ばれる少年は僕の肩にそっと手を置く。すると砂嵐は消える。でも僕はまだ目を閉じたままでいる。
「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年にならなくちゃいけないんだ。なにがあろうとさ。そうする以外に君がこの世界を生きのびていく道はないんだからね。そしてタフであるというのがどういうことなのか、君は自分で理解しなくちゃならない。わかった?」
僕はただ黙っている。少年のてを肩に感じながら、このままゆっくり眠りに入ってしまいたいと思う。かすかな羽ばたきが耳に届く。
「君はこれから世界でいちばんタフな少年になる」とカラスと呼ばれる少年は、眠ろうとしている僕の耳もとで静かに繰りかえす。僕の心に濃いブルーの字で、入れ墨として書きこむみたいに。

そしてもちろん、君はじっさいにそいつをぐり抜けることになる。そのはげしい砂嵐を。形而上的で象徴的な砂嵐を。でも形而上的であり象徴的でありながら、同時にそいつは千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう。温かくて赤い血だ。君は両手にその血を受けるだろう。それは君の血であり、はかの人たちの血でもある。
そしてその砂嵐が終わったとき、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いやほんとにそいつが去ってしまったのかどうかもたしかじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏み入れたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。

15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになる。
もちろん順を追ってくわしい話をしようと思えば、たぶんこのまま一週間だって話をつづけることはできる。しかしひとまず要点だけを言うと、だいたいそういうことになる。15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。
なんだかおとぎ話みたいに聞こえるかもしれない。でもそれはおとぎ話じゃない。どんな意味あいにおいても。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:01:14 | 显示全部楼层

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第1章

家を出るときに父の書斎から黙って持ちだしたのは、現金だけじゃない。古い小さな金のライター(そのデザインと重みが気にいっていた)と、鋭い刃先をもった折り畳み式のナイフ。鹿の皮を剥ぐためのもので、手のひらにのせるとずしりと重く、刃渡りは12センチある。外国旅行をしたときのみやげものなんだろか。やはり机の引き出しの中にあった強力なポケット・ライトももらっていくことにした。サングラスも年齢をかくすためには必要だ。濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。
父が大事にしているロレックスのオイスターを持っていこうかとも思ったけれど、迷った末にやめた。その時計の機械としての美しさは僕を強くひきつけたが、必要以上に高価なものを身につけて人目をひきたくなかった。それに実用性を考えれば、僕がたぶん使っているストップウォッチとアラームのついたカシオのプラスチックの腕時計でじゅうぶんだ。むしろそちらのほうがずっと使いやすいはずだ。あきらめてロレックスを机の引き出しに戻す。
ほかには小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真。その写真も机の引き出しの奥に入っていた。僕と姉どこかの海岸にいて、二人で楽しいそうに笑っている。姉は横を向き、顔の半分は暗い影になっている。おかげで笑顔がまんなかで分断されたみたいになっている。教科書の写真で見たギリシャ演劇の仮面みたいに、その顔には二重の意味がこめられている。光と影。希望と絶望。笑いと哀しみ。信頼と孤独。一方僕はなんのてらいもなくまっすぐにカメラのほうを見ている。海岸には僕ら二人のほかに人の姿はない。僕と姉は水着を着ている。姉は赤い花柄のワンピースの水着を着て、僕はみっともないブルーのぶかぶかのトランクスをはいている。僕は手になにかをもっている。それはプラスチックの棒のように見える。白い泡になった波が足もとを洗っている。
どこでいつ、誰がそんな写真をとったのだろう。どうして僕はそんな楽しいそうな顔をしているだろう。いったどうしてそんな楽しいそうな顔ができるんだろう。どうして父はこの写真だけを手もとに残していたのだろう。すべて謎めいている。僕はたぶん3歳、姉は9歳くらいだ。僕と姉はそんなに仲がよかったのだろうか。僕には家族と一緒に海に行った記憶はまったくない。どこに行った記憶もない。でもなんにしても僕としては、そんな写真を父親の手もとに残していきたくなかった。その古い写真を財布の中に入れる。母親の写真はない。父は母の写っている写真を一枚残らず捨ててしまったようだった。
少し考えてから携帯電話を持っていくことにする。なくなったことがわかれば、父は電話会社に連絡をして契約を取り消すかもしれない。そうなればなんの役にもたたない。しかし僕はそれをリュックに入れた。充電用のアダプターも入れた。どうせ軽いものだ。死んでいることがわかったら、そのとき捨てればいいのだ。

リュックにはどうしても必要なものだけを入れることにする。服を選ぶのがいちばんむずかしい。下着は何組必要だろう。セーターは何枚必要だろう。シャツは、ズボンは、手袋は、マフラーは、ショートパンツは、コートは?考えはじめるときりがない。でもひとつはっきりしていることがある。大きな荷物をかついで、いかにも家出少年ですというかっこうをして、知らない土地をうろうろと歩きまわりたくはない。そんなことをしたらすぐに誰かの注意をひいてしまう。警察に保護され、あっというまに家に送りかえされる。あるいは土地のろくでもない連中とかかわりあうことになる。
寒い場所にいかなければいいんだ。僕はそういう結論にたどりつく。簡単なことじゃないか。どこか温かい土地に行こう。そうすればコートなんていらない。手袋もいらない。寒さを考えなければ、必要な服の量は半分くらいになる。洗濯しやすくてすぐ乾いて、なるべくかさばらない薄手の服を選び、小さくたたんでリュックの中に詰めた。洋服のほかには、空気を抜いて小さく折りたためるスリー・シーズン用の寝袋、簡単な洗面用具キット、雨天用ポンチョ、ノートとボールぺン、録音のできるソニーのMDウォークマン、10まいほどのディスク(音楽はどうしても必要だ)、予備の充電式電池、そんなところだ。キャンプ用の調理用具まではいらない。重すぎしかさばりすぎる。食べものならコンビニエンス・ストアで買える。長い時間をかけて僕は持ちもののリストを短いものにしていった。いろんなものをそこに書き加え、それから削った。また多くを書き加え、またそれを削った。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:01:39 | 显示全部楼层

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15歳の誕生日は、家出をするにはいちばんふさわしい時点のように思えた。それより前では早すぎるし、それよりあとになると、たぶんもう手遅れだ。
中学校に入ってからの2年間、僕はその日のために、集中して身体を鍛えた。小学校の低学年のころから柔道の教室にかよっていたし、それは中学生になってもある程度つづけてはいた。でも学校では運動クラブには入らなかった。時間があればひとりでグランドを走り、プールで泳ぎ、区立の体育館にかよって機械を使って筋肉を鍛えた。そこでは若い指導員がただで正しいストレッチングのやりかたやマシンの使いかたを教えてくれた。どのようにすれば全身の筋肉を効率よく強くすることができるか。どの筋肉がふだんの生活の中で使われるもので、どの筋肉が機械でしか強化されないものなのか。彼らは正しいベンチプレスのやりかたを教えてくれた。幸運なことに僕はもともと背が高かったし、日々の運動のおかげで背幅も広くなり、胸も厚くなった。知らない人の目にはじゅうぶん17歳には見えるはずだ。もし僕が15歳で、そのまま15歳みたいな外見をしていたら、行く先ざきでまずまちがいなく面倒を背負いこむことになるだろう。
体育館の指導員とのやりとりや、一日置きにうちにかよってくるお手伝いさんと簡単なやりとりをべつにすれば、そして学校でのどうしても必要な会話をべつにすれば、僕はほとんど誰とも口をきかなかった。父とはずいぶん前から顔をあわせないようになっていた。同じひとつの家に住んでいても生活する時間帯はまったくちがっていたし、父は一日のほとんどの時間、離れた場所にある工房にこっもていた。そして言うまでもないことだけど、僕は父と顔をあわせないですむようにいつも用心していた。
僕がかよっていたのは、主として上流家庭の、あるいはただ単に金持ちの子どもたちをあつめた私立中学だった。よほどの失敗しまいかぎり、そのまま高等部まで進むことができる。みんな歯並びがよく、清潔な服を着て、話が退屈だった。もちろん僕はクラスでは誰からも好かれなかった。僕は自分のまわりに高い壁をめぐらせ、誰一人その中に入れず、自分をその外に出さないようにつとめていた。そんな人間が誰かに好かれるわけがない。彼らは僕を敬遠し、そして警戒していた。あるいは不愉快に思ったり、ときにはおびえたりしていたかもしれない。でも人にかまわれないことはむしろありがたかった。僕にはひとりでやらなくてはならないことが山ほどあったからだ。休み時間になるといつも学校の図書室に行って、むさぼるように本を読んだ。
それでも学校の授業だけはずいぶん熱心に聴いた。それはカラスと呼ばれる少年が強く勧めてくれたことだった。

中学校の授業で教えられる知識やら技術やらが、現実生活でなにかの役にたつとはあまり思えないよ、たしかに。教師だって、ほとんどろくでもない連中だ。それはわかる。でもいいかい、君は家出をするんだ。そうなれば、こらから先学校に行く機会といってもたぶんないだろうし、教室で教われることは好きも嫌いもなくひとつ残らず、しっかりと頭の中に吸収しておいたほうがいいぜ。君はただの吸い取り紙になるんだ。なにを残してなにを捨てるかは、あとになってきめればいいんだからさ。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:01:56 | 显示全部楼层

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僕はその忠告に従った(僕はだいたいにおいてカラスと呼ばれる少年の与えてくれる忠告には従うことにしていた)。意識を集中し、脳を海綿のようにし、教室で語られるすべての言葉に耳をすませ、頭にしみこませた。それらを限られた時間の中で理解し、記憶した。おかげで教室の外ではほとんど勉強しなかったにもかかわらず、試験の成績では僕はいつもクラスの上位にいた。
筋肉は金属を混ぜこんだみたいに強くなり、僕はますます無口になっていた。感情の起伏が顔に出るのをできるかぎり抑え、自分がなにを考えているのか、教師やまわりのクラたん
鏡を見ると、自分の目がとかげのような冷ややかな光を浮かべ、表情はますます硬く薄くなっていくことがわかった。考えてみれば、僕は思い出せないくらい昔から一度も笑っていなかった。微笑みさえしなかった。他人に対しても、それから僕自身に対しても。
でもいつもそういった静かな孤立をまもりきれたわけじゃない。自分のまわりにめぐらせたはずの高い壁があっさりと崩れてしまうことだってあった。それほど何度もあったいうのではないけど、ときどきはあった。壁は知らないあいだにうしなわれて、僕は裸で世界の前にむき出しになっていた。そういうときには僕は混乱した。それもひどく混乱した。おまけにそこには予言があった。予言はいつも暗い水みたいにそこにあった。

予言は暗い秘密の水のようにいつもそこにある。
ふだんはどこか知らない場所にこっそり潜んでいる。しかしそれはある時が来ると音もなくあふれ出て、君の細胞のひとつひとつを冷ややかにひたし、君はその残酷な水の氾濫の中で溺れ、あえぐことになる。君は天井近くにある通風口にかじりついて、外の新鮮な空気を必死に求める。しかしそこから吸いこむ空気はからからに乾ききって、君の喉を熱く焼く。水と渇き、冷たさと熱という対立するはずの要素が、力を合せて同時に襲いかかる。
世界にこれほど広い空間があるのに、君を受けいれてくれるだけの空間は――それはほんのささやかな空間でいいのだけれど――どこにも見あたらない。君が声を求めるとき、そこにあるのは深い沈黙だ。しかし君が沈黙を求めるとき、そこには絶えまのない予言の声がある。その声がときとして、君の頭の中のどこかにかくされている秘密のスイッチのようなものを押す。
君の心は長い雨で増水した大きな河に似ている。地上の標識はひとつ残らずその流れの下にかくされ、たぶんもうどこか暗い場所に運ばれている。そして雨は河の上にまだ激しく降りつづいている。そんな洪水の風景をニュースなんかで見るたびに君は思う。そう、そのとおり、これが僕の心なんだと。

家を出る前に石鹸を使って洗面所で手を洗い、顔を洗う。爪を切り、耳の掃除をし、歯を磨く。時間をかけて、できるだけ身体を清潔にする。ある場合には清潔であるというのは何より大切なことなのだ。それから洗面台の鏡に向かい、自分の顔を注意深く眺める。そこには僕が父親と母親から――とはいえ母の顔はまったく覚えていないのだけど――遺伝として引きついだ顔がある。どれだけそこには浮かぶ表情を殺したところで、どれだけ目の光を薄めたところで、どれだけの筋肉を身体につけたところで、顔の様子をかえてしまうことはできない。どれだけ強く望んでも、父親から受け継いだとしか思えない二本の濃い長い眉と、そのあいだに寄った深いしわをひきむしってしまうことはできない。そうしようと思えば父親を殺すことはできる(現在の僕の力をもってすれば決してむずかしいことじゃない)。母親を記憶から抹殺することもできる。でも僕の中にある彼らの遺伝子を追い払うことはできない。もしそれを追い払いたければ、僕自身を僕の中から追放するしかない。
そしてそこには予言がある。それは装置として僕の中に埋めこまれている。
それは装置として君の中に埋めこまれている。
僕は明りを消し、洗面所を出る。
家の中には重く湿った沈黙が漂っている。それは存在しない人々のささやきであり、生きていない人々の息吹だ。僕はあたりを見まわし、立ちどまり、深呼吸をする。時計の針は午後の3時をまわっている。その二本の針はひどくよそよそしく見える。それは中立的なふりをしていながら、僕の側に立っていない。そろそろこの場所をあとにする時間だ。僕は小型のリュックを手にとり、肩にかける。何度もためしに肩にかけたものなのに、それはいつもよりずっと重く感じられる。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:02:12 | 显示全部楼层

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行く先は四国ときめている。四国でなくてはならないという理由はない。でも地図帳を眺めていると、四国はなぜか僕が向かうべき土地であるように思える。何度みても、いや見るたびにますます強く、その場所は僕をひきつける。東京よりずっと南にあり、本土から海によて隔てられ、気候も温暖だ。これまで一度も訪れたことのない土地であり、そこにはひとりの知りあいも、ひとりの親戚もいない。だからもし誰かが僕のゆくえを探すとしても(そんな人間が出てくるとは思えないけれど)、四国に目を向ける可能性はない。

予約していた切符を窓口で受けとり、夜行バスに乗る。それが高松までのいちばん安い交通手段だ。1万円と少し。誰も僕に注意を払わない。年齢をたずねられることもない。顔をのぞきこまれることもない。車掌も事務的に切符をチェックするだけだ。
バスのシートは全体の三分の一くらいしか埋まっていない。乗客の大半は僕と同じようにひとり旅で、車内は不自然なくらいしんとしている。高松まではずいぶん長い道のりだ。時刻表によればおおよそ10時間かかり、到着は明日の早朝になる。しかし時間の長さは気にならない。時間なら、今の僕にはそれこそいくらでもある。夜の8時過ぎにバスがターミナルを出發すると、僕はシートの背もたれを倒し、そのまま眠りこんでしまう。いったんシート身を沈めると、まるで電池が切れたみたいに意識が薄まれていく。
真夜中前からとつぜん強い雨が降りはじめる。僕はときどき目をさまし、安物のカーテンのあいだから夜の高速道路の風景を眺める。雨粒が音をたてて激しく窓をたたき、道路に沿ってならんだ街路灯の明りをにじませている。街路灯同じ間隔をたもちながら、世界につけられた目盛りのようにどこまでもつづいている。新しい光がたぐり寄せられ、次の瞬間にはもう古い光となり、背後に過ぎ去っていく。気がついたときには、時計は夜中の12時を過ぎている。そして自動的に、まるで前に押しだされるように僕の15歳の誕生日が訪れる。
「誕生日おめでとう」とカラスと呼ばれる少年が言う。
「ありがとう」と僕は言う。
しかし予言はまだ影となって僕に付き添っている。自分のまわりに築いた壁がまだ崩れていないことを僕は確認する。僕は窓のカーテンを閉じ、また眠る。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:02:28 | 显示全部楼层

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第2章

当文書はアメリカ国防省によって「極秘資料」として分類され保管されていたものであり、情報公開法に基づき1986年に一般公開された。現在ワシントン特別区のアメリカ国立公文書館(NARA)において、閲覧可能となっている。

ここに記録された一連の調査は、陸軍情報部ジェームズ・P・ウォレン少佐の指示に従い、1946年3月から4月にかけて実施された。ロバート・オコンネル少尉とハロルド・カタヤマ曹長が山梨県**郡の現場での直接の調査に従事した。すべての面接の質問者はロバート・オコンネル少尉である。日本語通訳にはカタヤマ曹長があたり、書類作成はウィリアム・コーン一等兵が担当した。
面接は12日間にわたって実施され、場所には山梨県**町役場の応接室が使用された。**郡**町立**国民学校女性教師、当地在住の1名の医師、当地の警察署に所属する2名の警察官、6名の児童が、オコンネル少尉の質問に個別に答えた。
なお添付された1/10、000および1/2,000現地地図は、内務省地理調査所作成のものである。

アメリカ陸軍情報部(M I S)報告書
  作成年月日・1946年5月12日
   タイトル「RICE BOWL HILL INCIDENT , 1944: REPORT」
      文書整理番号  PTYX-722-8936745—42213-WWN

以下は事件当時**町立**国民学校、四年生乙組の担任教師であった岡持節子(26歳)の面接インタビュー。録音テープ使用。このインタビューに関する付帯資料請求番号はPTYX-722-SQ-118 から122である。

質問者ロバート・オコンネル少尉による所感
<岡持節子は顔たちのいい小柄女性である。知的で責任感も強く、質問に対する答えは的確で誠実である。ただし事件から少なからざるショックを受け、その余波は現在もなお続いているように見受けられる。記憶をたどりながら、ときとして精神的な緊張が強くなるのが感じられる。それにあわせて話し方も遅くなる>

たぶん午前10時を少し過ぎたところだったと思いますが、空のずっと上の方に銀色の光が見えました。銀色の鮮やかなきらめきでした。ええ、間違いなく金属の反射する光でした。そのきらめきはかなり長い時間をかけてゆっくりと、東から西の方へと、空を移動していきました。B29なのだろうと私たちは思いました。それは私たちのちょうど真上にいました。ですからまっすぐに上を見上げなくてはなりませんでした。雲一つない青空で、あまりにも光がまぶしく、見えたのは銀色のジュラルミンらしきもののきらめきだけです。
しかしいずれにしたもそれは、かたちも見えないくらい高いところにありました。ということは、向こうからも私たちの姿は見えないわけです。ですから攻撃されるおそれもありませんし、とつぜん空から爆弾が落ちてくる心配もありません。こんな山の奥に爆弾を落としたところで、何の効果もないからです。たぶんその飛行機は、どこかの大きな都市に爆撃に行く途中か、あるいは爆撃を済ませた帰りか、どちらかだろうと思いました。ですから私たちは飛行機の姿を目にしても、とくに警戒せず、そのまま歩き続けました。むしろその光の奇妙な美しさに打たれたくらいでした。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:02:47 | 显示全部楼层

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――軍の記録によるとその時刻に、つまり1944年の11月7日午前10時前後に、その地域上空をアメリカ軍の爆撃機、あるいはその他の航空機が飛行していた事実はありません。

でも私と、そこにいた16人の子どもたちはみんなはっきりと見ましたし、全員がそれをB29だと思いました。そんな高空を飛べる飛行機はB29以外にありません。県内に小さな航空基地はありましたし、ときおり日本の航空機は見かけることもありましたが、みんな小さなもので、そんなに高いところまでは上がれません。それにジュラルミンの光りかたというのは、ほかの金属の光りかたとは違っています。ただそれは大きな編隊ではなく、一機だけの飛行であるように見えましたので、ちょうっと妙だなという気がしました。

――あなたはこの土地の出身ですか。

いいえ。私は広島県の生まれです。昭和16年に結婚し、それから当地にやって参りました。夫はやはり当県の中学校で音楽の教師を勤めておりましたが、昭和18年に応召いたしまして、昭和20年6月にルソン島の戦闘に参加し、戦死いたしました。マニラ市近郊の火薬庫の警備にあたっております際に、米軍の砲撃を受けて引火爆発し、亡くなったと聞いております。子どもはおりません。

――そのときにあなたが引率していた学級の児童の数は全部で何人でしたか?

男女あわせて16名、病欠していた2人を除いて、学級の全員でした。内訳は男子が8名女子が8名です。そのうちの5名は東京から疎開してきた子どもたちでした。
私たちは野外実習をするために、水筒とお弁当を持って、朝の9時に学校を出ました。野外実習と言っても特別な学習をするわけではありません。山に入ってキノコとか、食べられる山菜を探すのが主目的です。私たちの住んでいるあたりは農村部ですので、まだ食料にそれほど不自由しておりませんでしたが、決して食べ物十分にあったわけではありません。強制的な供出の割り当ては厳しいものでしたし、一部の人を別にすれば、みんな慢性的におなかをすかせていました。
ですから子どもたちも、食料になるものをどこかで見つけてくること奨励されていました。非常時ですから、勉強どころではありません。そういう「野外実習」は当時はみんなよくやっていました。学校のまわりは自然に恵まれて、「野外実習」に適した場所がいくらでもあったのです。そういう意味では私たちは幸運でした。都会にいる人々はみんな飢えていました。当時はもう台湾や大陸からの補給路は完全に断たれていて、都市部での食糧不足、燃料不足は深刻なものになっていましたから。

――学級の中に5人、東京から疎開してきた児童がいたわけですが、地元の子どもたちと、彼らとのあいだはうまく行っていたのですか?

私の学級についていえば、おおむねうまくことは運んでいたと思います、もちろんこんな田舎と東京の真ん中ですから、育った環境はまるで違います。使う言葉も違いますし、着ている服だって違います。地元の子どもの大半は貧しい農家の子どもですし、東京から来た子どもたちの多くは、会社員か官吏の家の子どもたちでした。ですから子どもたちがお互いに理解し合っていたとは、とても言えません。
とくに最初のうちふたつのグループのあいだには、ぎくしゃくした空気が漂っていました。喧嘩やいじめがあったわけではないのですが、ただお互いに相手が何を考えているのか、理解できなっかたのです。ですから地元の子どもたちは地元の子どもたちだけで、東京の子どもたちは東京の子どもたちだけで固まっていました。しかし2カ月ほどたつと、お互いにずいぶん慣れました。子どもたちがいったん夢中になって一緒に遊び始めると、文化や環境の垣根というのは比較的簡単にはずれてしまうものなのです。

――その日あなたが学級の子どもを引率していった場所について、できるだけくわしく話してください。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:03:06 | 显示全部楼层

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それは私たちがよく遠足にでかける山でした。お椀を伏せたような丸い形をしておりまして、私たちはそれを普通「お椀山」と呼んでいました。それほど険しい山ではありませんし、誰でも簡単に登れます。学校から少し西に向けて歩いたところにあります。頂上までたどりつくのに、子どもの足でだいたい2時間ほどかかります。途中の森でキノコを探し、そこで簡単にお弁当を食べることになっていました。子どもたちは教室で勉強をするより、そういう「野外実習」に出かける方を喜びます。
空の高いところに見えた飛行機らしきもののきらめきは、少しの間私たちに戦争のことを思い出させましたが、それも一瞬のできごとでしたし、だいたいにおいて私たちはみんな上機嫌で、幸福でした。雲ひとつないお天気でしたし、風もなく、山の中は静かで、聞こえるものといえば鳥の声くらいです。そんな中を歩いていると、戦争なんてどこか遠い国の、私たちには関係のないできごとであるように思えました。私たちはみんなで歌を歌いながら山道を歩きました。ときどき鳥の鳴き声のまねをしました。戦争がまだ続いていることをべつにすれば、完壁と言ってもいいくらい素晴らしい朝でした。

――飛行機らしきものを目撃したあと、まもなくして全員で森に入ったのですね。

そうです。森に入ったのは、飛行機を目撃してから5分も経過していなかったと思います。私たちは途中で登山道を離れ、森の中の斜面についた踏み分け道に入りました。ここだけはかなり険しい上りです。10分ほど登ったところで、森が開けた場所に出ます。けっこう広い部分が、まるでテーブルのようにきれいに平らになっています。いったん森の中に足を踏み入れますと、しんとして、太陽の光りはさえぎられ、空気は冷ややかになりますが、そこだけは頭上も明るくひらけて、小さな広場みたいになっていました。私たちの学級は「お椀山」に登ると、よくその場所を訪れました。そこにいるとなぜか穏やかで親密な気持ちになれたからです。
私たちは「広場」につくとひと休みし、荷物を下ろし、それから3名から4名ずつのグループに分かれてキノコ探しにとりかかりました。お互いの姿が目に入られないところにはいかないというのが私の決めたルールでした。私はみんなを集めてそのルールをあらためて徹底させました。よく知った場所とはいえやはり森の中ですし、いったん奥に迷い込んでしまうと面倒なことになります。しかし小さな子どもたちです。キノコとり夢中になりますと、ついついそんなルールは忘れてしまいます。ですから私は自分でもキノコを探しながら、常に目で子どもたちの頭数を勘定していました。
子どもたちが地面に倒れ始めたのは、その「広場」を中心にキノコとり始めてからおおよそ10分くらいたってからです。
最初に地面に3人の子どもたちがかたまって倒れているのを目にしたとき、私はまず毒キノコを食べたのではないかと考えました。この土地には生死にかかわるような猛毒をもったキノコがたくさん生えています。地元の子どもたちは見分けることができますが、それでも中には紛らわしいものがあります。ですから学校に持って帰って専門家に選別してもらうまでは、どんなものも決して口にはしないように強く言い聞かせてはありますが、子どもたちみんながみんな言うことをきくとはかぎりません。
私あわててそこに駆け寄り、地面に倒れている子どもたちを抱き起こしました。子どもたちの身体はまるで、太陽の熱で柔らかくなったゴムみたいにぐんにゃりとしていました。力がすっかり抜けってしまっていて、なんだか抜け殻を抱いてるみたいでした。でも呼吸はしかっりしていました。手首に指をあててみますと、脈拍もだいたい正常のようでした。熱もありません。表情も穏やかで、苦しんでいる様子も見受けられません。蜂に刺されたとか、蛇に噛まれたとか、そういうのでもなさそうです。ただ意識がないのです。
いちばん奇妙なのは目でした。そのぐったりとした状態、昏睡している人の状態に近いですが、でも目は閉じられていませえん。目はごくふつに開けれて、何かを眺めているみたいに見えました。ときどきまばたきもします。ですから、眠っていたというわけではないのです。そして瞳はゆっくりと動いていました。まるでどこか遠くにある風景を端から端までみまわしているみたいに、静かに左右に動いていました。その瞳には意識がありました。でも実際にはその目何も見ていません。少なくとも目の前にあるものを見ているのではありません。私が目の前に手をかざして動かしても、瞳は反応らしきものを見せませんでした。
私は3人の子供たちを順番に抱き上げていったのですが、3人が3人ともまったく同じ状態を示していました。意識はなくみんなが同じように目開いて、左右にゆっくりと瞳を動かしています。それは尋常ではない光景でした。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:03:23 | 显示全部楼层

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日语词典:
――その最初に倒れた子どもたちはどのような構成だったのですか?

女の子ばかり3人です。仲がよい3人組でした。私はその子たちの名前を大声で呼び、順番に頬を叩きました。かなり強く叩きました。しかし反応はありません。何も感じていないのです。私が手のひらに感じたのは、硬い虚空のようなものでした。それはとても奇妙な感覚でした。
私は誰かを学校に走って帰らせようと思いました。私ひとりの力では意識のない3人の子どもを担いで帰ることは不可能です。ですからいちばん足の速い男の子の姿を探しました。しかし立ち上がってあたりを見まわしたとき、ほかの子どもたちもみんな地面に倒れていることに私は気づきました。16人の子どもたち全員、ひとり残らずそこに倒れて意識を失っていました。倒れていないのは、立って意識を保っているのは、私ひとりだけだったのです。それはまるで……戦場のようでした。

――そのときに現場で何か異常なことが気づきませんでしたか?たとえば匂いとか、音とか。光とか?

(しばらく考える)。いいえ、先ほども申し上げましたとおり、あたりはとても静かで、平和そのものでした。音にも光にも匂いにも、変わった点はありません。ただ私の学級の子どもたちがひとり残らずそこに倒れていただけです。私はそのとき、この世界にたったひとりで取り残されてしまったような気がしました。とても孤独でした。どんなものとも比べようがないくらい孤独でした。何も考えずにそのまま虚空の中に消え入ってしまいたいとうな気持ちでした。
でももちろん私には引率の教師としての責任があります。私はすぐに気を取り直し、転げるように斜面を駆け降り、助けを求めるために学校に向かいました。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:03:44 | 显示全部楼层

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第3章

目が覚めたときには夜が明けようとしている。僕は窓のカーテンを引き、外の風景を眺める。雨はもうすっかりあがっていたけれど、降りやんでまだ間がないらしく、窓の外にある目に映るものすべてが黒く濡れ、水滴をしたたらせている。東の空には、輪郭のくっきりした雲がいくつか浮かび、それぞれの雲のまわりには光の縁どりがついている。光の色は不吉にも見えるし、同時に好意的なものにも見える。眺め角度によってその印象は刻々と変化していく。
バスは高速道路の上を一定の速度で走りつづけている。耳に届くタイヤ音は高まることもなく、低くなることもない。エンジンの回転数もまったく変化しない。その単調な音は石臼のようになめらかに時間を削りとり、人々の意識を削りとっていく。まわりの乗客は窓のカーテンをぴったりと閉め、シートの中で身をかがめて眠りこんでいる。目を覚ましているのは僕と運転手だけのようだ。僕らは効率よく、とても無感覚に目的地に向けて運ばれていく。
喉が渇いたので、リュックのポッケトからミネラル・ウォーターのボトルを出して、なまあたたかい水を飲む。同じポッケトからソーダ・クラッカーの箱を出し、何枚かを食べる。口の中にクラッカーのなつかしい乾いた味が広がっていく。腕と計の数字は4:32を示している。僕は念のために日付と曜日をたしかめる。この数字は、僕が家を出てからおおよそ13時間が経過したことを教えてくれる。時間は進みすぎてもないし、あと戻りしてもいない。僕はまだ誕生日の中にいる。僕は新しい人生の最初のいちにちの中にいる。目を閉じ、目を開け、もう一度時計の時刻と日にちを確認する。それから読書灯をつけ、文庫本を読み始める。

5時過ぎにバスは気配もなく高速道路を離れ、どこかのサービスエリアの広い駐車場の一角に停まる。圧縮空気の音が聞こえ、前方のドアが開けられる。車内の明りがつき、運転手からの短いアナウンスがある。みなさまおはようございます。お疲れさまでした。予定通りあと1時間ばかりでバスは高松駅前に到着いたしますが、その前にサービスエリアで20分ほどの朝の休憩になります。出発時刻は5時30分になっております。どなた様もそれまでに車内にお戻りください。
ほとんどの乗客がそのアナウンスで目を覚まし、黙って席を立つ。あくびをし、面倒くさそうにバスを降りる。高松に到着前に多くの人々はここで身仕度をととのえるのだ。僕もバスを降り何度か深呼吸をし、背筋を伸ばし、朝の新鮮な空気の中で簡単なストレッチをする。洗面所に行って洗面台で顔を洗う。そしてここはいったいどこなのだろうと考える。外に出て、あたりの風景をひととおり見まわしてみる。とくにこれという特徴もない平凡な高速道路沿いの風景だ。でも気のせいかもしれないけれど、山のかたちや樹木の色あいが東京とはどことなくちがって見える。
カフェテリアに入って無料サービスの熱い緑茶を飲んでいると、ひとりの若い女性がやってきてとなりのプラスチックの椅子に腰をおろす。彼女は自動販売機で買ったばかりのコーヒーの紙コップを右手に持っていて、そこから白い湯気が立ちのぼっている。左手にはこれも販売機で買ったらしい、サンドイッチの入った小さな箱を持っている。
彼女の顔立ちは正直なところ一風変っている。というか、どう好意的に見ても、整ったものではない。額は広くて、鼻は小さく丸く、頬はそばかすだらけだ。耳も尖っている。どっちかといえばかなり目だつつくりの顔だ。乱暴なつくりと言ってもいいくらいだ。でも全体の印象はぜんぜん悪くない。本人も自分の容姿に完全に満足はしていないまでも、うまく馴染んでくつろいでいるように見える。それはきっと大事なことなのだろう。そこにある子供っぽさみたいなものが相手を安心させる。少なくとも僕を安心させる。背はあまり高くないけど、身体はすらりと細く、その割りに胸が大きい。脚のかたちもきれいだ。
両方の耳たぶには薄い金属片のイヤリングが下がっていて、ジュラルミンのようにときどき眩しく光る。肩までの髪を濃い茶色に染めて(ほとんど赤に近い)、太い横縞のボートネックの長袖シャツを着ている。肩に小さな革にリュックをかけ、夏物の薄いセーターを首に巻いている。クリーム色のコットンのミニスカート、ストッキングはなし。洗面所で顔を洗ってきたらしく、前髪が何本か、植物の細い根っこのように広い額に張りついていて、それがどことなく僕に親しみをいだかせる。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:04:03 | 显示全部楼层

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日语词典:
「君はあのバスに乗ってた人だよね?」と彼女は僕にたずねる。少ししゃがれた声だ。
「そう」
彼女は眉をひそめてコーヒーを一口すする。「君はいくつなの?」
「17歳」と僕は嘘を言う。
「高校生だね」
僕はうなずく。
「どこまで行くの?」
「高松」
「じゃあ私と同じだ」と彼女は言う。「君は高松に行くの?それとも帰るの?」
「行くほう」と僕は答える。
「私も同じ。あっちに友たちがいるんだ。仲のいい女の子なんだけどね。君は?」
「親戚がいます」
彼女はなるほどというようにうなずいて、それ以上は質問しない。
「私にも君と同じくらいの年頃の弟がいるんだよ」とふと思いだしたように彼女は言う。「事情があって、もうずいぶん長く会ってないんだけどね……。それでさ、うん、君ってあの子にすごーく似てるね。誰かにそう言われたことない?」
「あの子?」
「あのバンドで歌っている、あの子。バスの中で見かけたときから、ずっとそう思っていたんだ。でも名前が出てこない。頭に穴が開いちゃうくらいずっと真剣に考えていたんだけど、駄目なの。そういうことってあるでしょう?思い出せそうで思い出せないってこと。誰かに似てるって、これまで言われたことない?」
僕は首を振る。誰も僕にそんなことは言わない。彼女はまだ目を細めて僕を見ている。
「どんな人に?」と僕はたずねてみる。
「テレビの人」
「テレビに出ている人?」
「そう、テレビに出ている人」彼女はハムのサンドイッチを手にとって、無表情にそれを咀嚼し、またコーヒーを飲む。「どっかのバンドで歌を歌っている男の子なんだ、だめだな。そのバンドの名前も思いだせない。関西弁をしゃべる背の高いやせた男の子。心当たりはない?」
「わからないな。テレビは見ないから」
彼女は顔をしかめる。そしてしげしげと僕を見る。「見ないって、ぜんぜん?」
僕は黙って首を振る。いや、うなずくべきなのかな?僕はうなずく。
「君はあまりしゃべらないし、しゃべてもだいたい一度に一行くらいしかしゃべらないんだね。いつもそうなの?」
僕は赤くなる。僕がしゃべらないのは、もちろんもともとが無口だったということもある。しかし声の高さがまだ完全に落ちついていないのもその理由のひとつだ。いつもだいたい低い声で話すのだけれど、ときどき急に声が裏返ってしまう。だからなるべく長くしゃべらないようにしている。
「まあいいや、とにかく」と彼女はつづける。「君はそのバンドで歌を歌っていて、しゃべるときは関西弁でしゃべる男の子に感じがよく似ているんだ。君はもちろん関西弁じゃないけどね。ただその、なんていうか……、雰囲気がよく似ているっていうだけ。わりに感じのいい子なんだ。それだけ」
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:04:21 | 显示全部楼层

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日语词典:
彼女は微笑みを少しだけシフトさせる。その微笑みはどこかにちょっとでかけて行って、すぐにまた戻ってくる。僕の顔はまだ赤くなったままだ。
「その髪型をかえればもっとよく似てくると思うな。もう少し長くのばして、ヘアジェルをつかってひょいひょいっと髪を立てるんだ。できるものなら、今ここでやってあげたいけどね。きっと似合うわよ。じつを言うと私は美容師なんだ」
僕はうなずく。そしてお茶を飲む。カフェテリアの中はとても静かだ。音楽もかかっていない。話し声も聞こえない。
「話をするのがきらいなの?」彼女は片手で頬杖をつき、真剣な顔で僕にたずねる。
僕は首を振る。「いや、そんなことはありません」
「迷惑とか、そういうんじゃない?」
僕はもう一度首を振る。
彼女はサンドイッチをひとつ手に取る。いちごジャムのサンドイッチだ。彼女は信じられないという顔をして眉をしかめる。
「ねえ、これを食べてくれない?私はいちごジャムのサンドイッチって、世の中でいちばん嫌いなもののひとつなの。子どものころからずっと」
僕はそれを受けとる。僕もいちごジャムのサンドイッチは決して好きじゃない。でも黙って食べる。彼女はテーブル越しに僕がちゃんと最後までそれを食べるのを見とどける。
「ひとつ君に頼みごとがあるんだけど」と彼女は言う。
「どんなこと?」
「高松に着くまで、君のとなりの席に座っていていいかな?ひとりでいるとどうも落ちつかないんだ。変なひとがとなりに座ってきそうな気がして、うまく眠れなかった。切符を買ったときにひとりずつの独立したシートだって聞いていたんだけど、乗ってみたらじっさいには二人がけなんだよね。高松に着くまでに少しでも眠っておきたいの。君は変なひとには見えないみたいだし。どう、かまわない?」
「かまわないけど」と僕は言う。
「ありがとう」と彼女は言う「旅は道連れっていうものね」
僕はうなずく。うなずいてばかりいるような気がする。でもなんと言えばいいのだろう?
「そのあとはなんだっけ」
「そのあと?」
「旅は道連れ、のあと。なにか続きがあったわよね?思い出せない。私はコクゴが昔から弱いの」
「世は情け」と僕は言う。
「旅は道連れ、世は情け」と彼女は確認するように繰りかえす。紙と鉛筆があったらちゃんと書きとめておくんだけどというような感じで。「ねえ、それってどういう意味なのかしら。簡単に言ってしまえば」
僕は考えてみる。考えるのに時間がかかる。でも彼女はじっと待っている。
「偶然の巡りあいというのは、人の気持のためにけっこう大事なものだ、ということだと思うな。簡単に言えば」と僕は言う。
彼女はしばらくそれについて考えていたが、やがてテーブルの上でゆっくりと軽く両手をあわせる。「それはたしかにそうだよね」偶然の巡りあいというのは、人の気持ちのためにけっこう大事なものだ、と私も思う」
僕は腕時計に目をやる。もう5時半になっている。「そろそろ戻ったほうがいいんじゃないかな?」
「うん、そうだね。行こう」と彼女は言う。でも立ちあがる気配はない
「ところで、ここはいったいどこなんだろう?」と僕はたずねる。
「さあどこかしらね」と彼女は言う。首をのばしてあたりをぐるりと見まわす。耳の一対のイヤリングが熟れた果実のようにゆらゆらと不安定に揺れる。
「私にもよくわからないな。時間的にいって、たぶん倉敷のあたりじゃないかという気はするけれど、でもべつにどこだってかまわないわよ。高速道路のサービスエリアなんて、結局はただの通り過ぎる地点じゃない。こっちから、こっちに」彼女は右手の人差し指と左手の人差し指を空中に立てる。そのあいだには30センチほどの距離がある。
「場所の名前なんてどうだっていいんだよ。トイレと食事。蛍光灯とプラスチックの椅子。まずいコーヒー。いちごジャムのサンドイッチ。そんなものに意味はないよ。なんに意味があるかといえば、私たちがどこから来て、どこに行こうとしているかってことでしょう。ちがう?」
僕はうなずく、僕はうなずく。僕はうなずく。
僕らがバスに戻ったときには、もう乗客は全員座席について、バスは一刻も早く出発しようと待ちかまえている。運転手はきつい目をした若い男だ。バスの運転手というよりは水門の管理人みたいに見える。彼は非難がましい視線を、時間に遅れてきた僕と彼女に向ける。しかしとくになんにも言わない。彼女は「ごめんね」とでも言うように、邪気のない微笑みを彼に投げかける。運転手は手をのばしてレバーを押し、再び圧縮空気の音をたててドアを閉める。彼女は小型のスーツケースを抱えて僕のとなりの席にやって来る。量販店で買ってきたようなぱっとしないスーツケースだ。大きさのわりに重い。僕はそれを持ちあげて、頭上のもの入れに入れる。彼女はありがとうと言う。それからシートを倒してずぐに眠りに入る。バスは待ちかねたように出発する。僕はポケットから本を出してつづきを読み始める。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:04:47 | 显示全部楼层

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彼女はぐっすり眠りこみ、やがてカープでの揺れにあわせるように、僕の肩に頭をもたせかける。そしててそのままそこにとどまる。べつに重くはない。彼女は口を閉じ、鼻で静かに呼吸している。その息が僕の肩の骨の上に規則正しく当たる。見おろすと、ボートネックの襟からブラジャーの紐がのぞいている。クリーム色の細い紐だ。僕はその先にあるデリケートな生地の下着を想像する。その下にある柔らかい乳房を想像する。僕の指先で固くなるピンク色の乳首を想像する。想像したいわけじゃない。でも想像しないわけにはいかない。その結果、もちろん僕は勃起する。どうして身体の一部がこんなに硬くなれるんだろうというくらい硬く勃起する。
それと同時に、ひょっとして彼女が僕の姉さんではないかという疑いが、僕の中に生まれる。歳もだいたい同じくらいだ。彼女の特徴的な顔立ちは、写真にうつっていた姉の顔とはずいぶんちがう。でも写真なんてあてにできないものだ。写しようによっては、実際とはまったくべつの顔に写ってしまうことだってある。彼女には僕と同じくらいの年頃の弟がいるけれど、ずいぶん長く会っていない。その弟が僕であってもおかしくはないはずだ。
僕は彼女の胸を見る。呼吸にあわせて、その丸く盛り上がった部分が、波のうねりのようにゆっくりと上下する。それは静かな雨が降りしきる広大な海原を想像させる。僕はデッキに立つひとりぼっちの航海者であり、彼女は海だ。空は一面の灰色で、それはずっと先のほうで、これもまた灰色の海と一緒になっている。そんなときに、海と空を区別することはとてもむずかしい。航海者と海を区別することもむずかしい。現実のありかたと心のありかたを区別することもまたむずかしい。
彼女の手の指には指輪がふたつはめられている。結婚指輪とか婚約指輪とかじゃない。若者向けの雑貨店で売っているような安物の指輪だ。指は細いけれど、まっすぐで長く、たくましささえ感じられる。爪は短く、きれいに手入れされている。淡いピンクのマニキュア。その手はミニスカートから突きだした膝の上に軽く載せられている。僕はその指に触れたいと思う。でももちろん実際にそんなことはしない。眠っている彼女は小さあ子どものように見える。髪のあいだから、尖った耳の先がキノコのようにのぞいている。その耳は不思議に傷つきやすそうな印象を与える。
僕は本を閉じ、窓の外の風景をしばらく眺める。それから知らないうちにまた眠りこんでしまう。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:05:02 | 显示全部楼层

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第4章

アメリカ陸軍情報部(M I S)報告書
  作成年月日・1946年5月12日
   タイトル「RICE BOWL HILL INCIDENT , 1944: REPORT」
      文書整理番号  PTYX-722-8936745—42216-WWN

以下は事件当時**町で内科医を開業していた中沢重一(53歳)の面接インタビュー。録音テープ使用。このインタビューに関する付帯資料請求番号はPTYX-722-SQ-162から183である。

質問者ロバート・オコンネル少尉による所感
<中沢医師は大柄な体型と日焼けした顔のせいで、医師というよりはむしろ農場監督のような印象を人に与える。人当たりは穏やかだが、しゃべり方はきびきびとして簡潔である。率直に思ったことを口にする。眼鏡の奥にある眼光は鋭い。記憶力は確かなものであるようだ>

はい、私は1944年11月7日の午前11時過ぎに、町立国民学校の教頭先生から呼び出しの電話を受けました。以前から学校の委託医のようなことをしておりましたので、私のところにまず連絡があったわけです。ひどい慌てようでした。
ある学級の全員が山にキノコ取りにいて、その場で意識を失ってしまっているのだという話です。まったく意識がないらしい。引率していった担任の女教師だけが意識を失わずにいて、助けをもとめてひとりで山を下り、ついさっき学校に戻ってきた。しかしずいぶん取り乱しているので、説明を聞いても何がなんだか事情がよくわからない。ひとつ確かなのは、山の中でまだ16人の子どもが倒れたままだということです。
キノコ取りにいったいということですから、毒キノコでも食べて神経が麻痺したのではないかと私はまず考えました。そうなると話は大変です。キノコは種類によってひとつひとつ毒性も違いますし、それに対する処方も違います。私たちにとりあえずできるのは、胃の中にあるものを全部吐かせ、洗浄することくらいです。しかしそれが毒性の強いもので、消化がかなり進んでいる場合には手の打ちようがありません。この地方では毎年何人かがキノコで命を落とします。
私はとりあえず緊急の役に立ちそうな薬品をあるだけ鞄に詰め込み、すぐに自転車に乗って学校に駆けつけました。学校には連絡を受けた警察官も二人来ていました。子どもたちに意識がないとなると、町まで運んでこなくてはなりませんし、人手がいります。しかし戦時中でしたら、若い男のおおかたは兵隊に取られてしまっています。私とその警察官たちと、年輩の男の先生と、教頭と校長と、用務員、それから担任の若い女の先生と山に向かいました。そのへんにある自転車をかきあつめ、数が足りないぶんは二人乗りで行きました。

――森の中の現場には何時ごろついたのですか?

そのとき時計を見て時刻をたしかめたのでよく覚えています。11時55分でした。山の入り口あたりの、行けるところまで自転車で行きまして、そこからあとは登山道を駆けるようにして登りました。
私がそこに着いたとき、何人かの子どもたちはもうある程度意識を回復して起きあがっていました。何人くらい?3人か4人か、そんなものです。起きあがるといっても、回復の具合はまだ十分ではなく、ふらふらと身体を起こし、四つん這いになって地面に手をついているという感じでした。残りの子どもたはまだ地面に倒れていました。しかしそのうちの何人かは、やはり意識を回復しつつあるらしく、まるで大きな虫のように身体をゆっくりとうねらせて動き始めていました。ずいぶん異様な光景でした。子どもたちが倒れていたのは、森の中の奇妙に平らにひらけた場所で、そこだけ切り取られたかのように、秋の太陽の光が明るく射し込んでおりました。そしてその中に、あるいはその周辺に、16人の小学生がそれぞれの姿勢で倒れています。あるものは動き、あるものはじっとしたままです。まるで前衛的な芝居の場面を見ているようでした。
私は自分が医師としてなすべきことも忘れて、息を呑み、しばしその場に立ちすくんでしまいました。私だけではありません。そこにやってきた全員が多かれ少なかれそういう一時的な麻痺状態に陥ってしまったようでした。妙な表現ですが、普通の人間が目にしてはならないものを、何かの手違いでこうして目の前にしてしまっているような、そんな気さえしました。戦時中でしたから、このような田舎でありましても、私たち医師として常にいざというときに備えておりました。たとえどんなことが起こっても、ひとりの国民として落ち着いて自分の職責を果たさねばならないと。しかしその情景は文字どおり私を凍りつかせてしまいました。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:05:32 | 显示全部楼层

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日语词典:
しかし私はすぐに気を取り直し、倒れている子供たちを抱き上げました。女の子でした。身体からいっさいの力が抜け、布人形のようにだらんとしています。呼吸は安定していますが、意識はありません。しかしその目は普通に開いていて、左右に動きながら何かを見ています。私は鞄から小型の懐中電灯を出して、瞳を照らしました。反応はありません。目は機能して何かを見続けているにもかかわらず、光の反応しないのです。不思議なことです。私は何人かの子供たちを抱き起こして、同じことをためしてみましたが、反応はそっくり同じでした。
それから私は子供たちの脈拍と体温を計りました。脈拍は平均しておおよそ50から55、体温は全員が36度を切っていたと記憶しています。35度半ばくらいだったのではないでしょうか。はい、その年齢の子どもとしては脈拍かなり遅いし、体温は1度ばかり低めになっています。息を嗅いでみましたが、妙な匂いはまったくありません。喉にも舌にも変化はありません。
食中毒の症状ではないこと一目で判断できました。誰も吐いていません。誰も下痢をしていません。誰も苦しんでいません。悪いものを食べた場合、これだけ時間が経過すれば、その三つの症状のうちの少なくともどれかひとつは必ずやってきます。食中毒ではないらしいとわかって、とりあえず胸をなで下ろしました。しかしじゃあいったい何が起こったのかということになりますと、さっぱり見当がつきません。
症状として似ているのは、日射病です。夏には子どもたちはよく日射病で倒れます。一人が倒れると、まるで伝染するみたいに、まわりの子どもたちもばたばたと倒れることがあります。しかし季節は11月です。おまけに涼しい森の中です。一人や二人ならまだしも、16人の子どもたち全員がそんなところで日射病になるというのは考えられないことです。
あと考えつくのは、ガスです。毒ガス、おそらくは神経ガスみたいなもの。天然のものか、あるいは人工のものか……。どうしてこんな人里離れた森の中にガスが発生したりするのかと訊かれても、私にはわかりません。しかし仮にそれが毒ガスであれば、このような現象は論理的に説明がつきます。みんなが空気と一緒にそれを吸い込んで、意識をうしなって倒れてしまった。担任の先生だけが大丈夫だったのは、濃度が薄くて、大人の身体はまたそれに対抗できたからだというわけです。
しかしじゃあそれに対してどのような治療を施せばいいのかというと、まったく五里霧中です。私このような田舎の町医者ですし、特殊な毒性ガスについての専門知識など持ち合わせておりません。ただ途方に暮れるばかりです。山の中ですから専門家に電話で問い合わせることもなりません。ただ実際問題として、子どもたちのうちの何人かが徐徐に回復の兆候を見せているわけですから、時間がたてば自然に意識は戻ってくるのかもしれません。あくまで楽観的な見通しではありますが、正直なところそれにかわる良い案も思い浮かびませんでした。だから今しばらくそこに安静に寝かせておいて、様子を見てみようということになりました。

――そのあたりの空気には、何か変わったところはありませんでしたか?

そのことは私も気になりましたので、何か普通ではない匂いがしたりしないかと、その場所の空気を何度か深く吸い込んでみました。しかし普通の森の中の空気です。樹木の匂いがします。変形したもの、変色したようなものも見あたりません。
私は子どもたちが倒れる前に取ったらしいキノコをひとつひとつ点検してみました。それほどたくさんの数ではありません。おそらく集め始めてほどなく倒れてしまったのでしょう。どれもみんな、ごく普通の食用になるキノコでした。私はこのあたりでずっと医師をしておりますし、キノコの種類にはかなり詳しい方です。もちろん念には念を入れてそれらを集めて持って帰り、あとで専門家に点検してもらいました。しかし私の見たとおり、すべて毒性のないごく普通のキノコでした。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:05:54 | 显示全部楼层

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――意識を失った子どもたちのことですが、瞳が左右に動く以外に何か、普通ではない症状や反応のようなものはありませんでしたか?たとえば瞳孔の大きさや、白目の色や、瞬きの回数など。

いいえ、瞳がまるで探照灯のように左右に動く以外に、変わったところは何もありませんでした。すべて正常の機能しておりました。子どもたちは何か見ていました。もっと正確に申し上げますと、子どもたちは、私たちに見えるものをみないで、私たちには見えないものを見ているように見えました。いや、何かを見ているというよりは、むしろ「目撃している」という方が、印象として近いかもしれません。表情というものはありませんでしたが、全体の印象はきわめて穏やかで、苦痛や怯えのようなものはまったく認められません。私がそのままそこに寝かせておいて様子を見ようと思ったのには、そういうこともありました。とりあえず苦しんでいないのなら、しばらくそのままにしておいてもいいのではないかということです。

――ガス説についてはその場で誰かに口にされましたか?

はい。いたしました。しかし私と同じように、誰もそんなものに心当たりはありません。山に入って毒性のガスを誰かが吸ったなんて話は、ついぞ聞いたこともありません。そこで、たしか教頭先生だったと思いますが、これは米軍がまいたんじゃないかと言いました。毒ガス爆弾を落としていったのではないかと。そうすると引率の女教師が、そういえば山に入る前にB29らしい機影を空に見たと言いました。ちょうどこの山の真上あたりを飛んでいたと。ひょっとしてそれかもしれないとみんな口々に言いました。これは米軍が開発した新種の毒ガス爆弾なんじゃないかと。米軍が新型の爆弾を開発しているらしいという噂は、私たちの住んでいるあたりにも広がっておりました。もちろんどうしてそんなものを、わざわざこのようにへんぴな山の中に落とさなくてはならないのか、誰にもわかりません。しかし世の中には間違いというものがあります。何が起こるかは人知のほかです。

――その後子どもたちは少しずつ自然に回復していったわけですね。

そのとおりです。どんなにほっといたしましたことか。子どもたちはまず最初に身をくねらせ、それからよろよろと身を起こし、少しずつ意識を回復しました。その過程で誰かが苦痛を訴えるようなことはありませんでした。とても静かに、深い眠りから自然に目覚めるようなかっこうで意識を取り戻していきました。意識を回復すると、それにあわせて目の動きはだんだん正常に戻っていきました。懐中電灯で瞳を照らすと、ごく普通の反応を示すようになりました。しかし口がきけるようになるまでには、しばらく時間がかかりました。ちょうど人が寝ぼけているときの感じに似ています。
私たちは意識を取り戻した一人ひとりに向かって、いったい何が起こったのかと尋ねてみました。しかしみんなただぽかんとするばかりです。身に覚えないことを問いつめられているみたいでした。子どもたちは、山に入ってこの場所でみんなでキノコを取り始めたところまでは、なんとか思い出せました。しかしそのあとの記憶が消えているのです。時間が経過したという認識すらありません。キノコを取り始めて、そこですとんと幕が下りて、次の瞬間には私たち大人に取り巻かれ、地面に横になっていたわけです。どうして私たちがそんなに真剣な顔をして騒いでいるのか、子どもたちにはまるで理解できず、むしろ私たちの存在に怯えているようでした。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:07:30 | 显示全部楼层

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しかし残念ながらその中にひとりだけ、どうしても意識回復できなかった男の子がいました。疎開してきた東京の子どもで、名前はナカタサトルと言いました。たしかそういう名前だったと記憶しています。小柄な色白の子どもでした。その子だけはどうしても意識を取り戻しません。いつまでも地面に横たわって、瞳を動かし続けています。私たちその子を背負って山を下りました。ほかの子どもたちは何ごともなかったように自分の足で山を下りました。

――そのナカタという男の子を別にすれば、子どもたちにはその後何の症状も残らなかったですか?

はい、目に見える異常はまったく認められませんでした。苦痛や不調を訴えることもありませんでした。学校に戻りますと、私は全員を順番に医務室に呼んで熱を計り、聴診器で心音を聞き、視力を調べ、とりあえず点検できるところはすべて点検いたしました。簡単な数字の計算をさせ、目をつぶって片足立ちをさせました。でもすべての身体の機能は正常でありました。身体の疲労感もとくにないようでした。食欲もありました。昼食をとらなかったために、全員が空腹を訴えていました。それで握り飯を与えますと、みんな一粒残さず食べてしまいました。
気になりましたので、その後数日にわたって私は学校に顔を出し、事件に遭遇した子どもたちの様子を観察しました、何人かを医務室に呼んで、簡単な面談をしました。しかしやはり異常は認められません。山の中で二時間も意識を失ったという異様な体験をしていながら、子どもたちの精神にも身体にも痕跡ひとつ残っていません。そんなこと起こったというすら、思い出せないみたいでした。子どもたちはいつもの日常に戻り、何の違和感もなく生活をおくっていました。授業を受け、歌を歌い、休み時間にも元気に校庭を走り回っていました。それとは対照的に、引率をしていた担任の女教師だけは、その事件のあとかなりショックを残ったようでした。
ただタナカという男の子だけは一晩経過してもそのまま意識が戻らず、翌日には甲府の大学病院に運ばれました。そのあとすぐ軍の病院に移されたということですが、いずれにせよこの町には二度と戻ってきませんでした。その子どうなったのか、私たちには最後まで知らされませんでした。
その山の中での子どもたちの集団失神事件は、新聞にはいっさい報道されませんでした。おそらくは人心を乱すという理由で、報道が当局に許可されなかったのでしょう。戦争中ですから。軍は流言蜚語にたいへん神経質になったおりました。戦局は思わしくなく、南方でも撤退、玉砕が続いておりましたし、米軍による都市の爆撃も始まっておりました。そんなわけですから、民間に反戦機運、厭戦気運が広がることを彼らは恐れていたのです。私たちも数日後に巡回してきた警察官から、この出来事に関して無用な口外は控えるようにと強く注意を受けました。
いずれにせよ実に不可解な、後味の悪い事件でした、正直に申し上げまして、それは私の胸のつかえのようになっております。
 楼主| 发表于 2015-2-15 14:07:47 | 显示全部楼层

大阪电气通信大学


日语词典:
第5章

バスが瀬戸内海にかかる巨大な橋を渡るところを、眠っていて見逃してしまう。地図でしか見たことのないその大きな橋を、じっさいに目にするのを楽しみにしていたのだけれど。誰かが僕の肩を軽くつついて起こす。
「ほら、着いたわよ」と彼女は言う。
僕は座席の中で身体をのばし、手の甲で目をこすり、それから窓の外を眺める。たしかにバスは駅前の広場みたいなところにとまりかけている。朝の新しい光があたりに満ちている。まぶしいけれどどことなく穏やかな光だ。東京の光とは少し印象がちがう。僕は腕時計を見る。6時32分。
彼女は疲れきった声で言う。「ああ、長かった。腰がどうにかなってしまいそう。首も痛い。夜行バスになんかもう二度と乗らない。少し値段が高くても飛行機にする。乱気流があろうと、ハイジャックがあろうとぜったいに飛行機に乗る」
僕は頭上のもの入れから彼女のスーツケースと自分のリュックを降ろす。
「名前はなていうんですか?」と僕はたずねてみる。
「私の名前のこと?」
「そう」
「さくら」と彼女は言う「君は?」
「田村カフカ」と僕は言う。
「田村カフカ」さくらは反複する。「変わった名前だね。覚えやすいけど」
僕はうなずく。べつの人間になることは簡単じゃない。でもべつの名前になることは簡単にできる。

彼女はバスを降りるとスーツケースを地面に置き、その上に腰をおろし、肩にかけた小さなリュックのポッケトから手帳を出してボールペンで走り書きする。そのページを破って僕に渡す。そこには電話番号のようなものが書いてある。
「私の携帯の番号」と彼女は顔をしかめて言う。「私は友だちのうちにとりあえず泊まるけど、誰かに会いたくなったらここに電話してね。一緒にご飯でも食べよう。遠慮しないでね。ほら、ソデ触れあうも、、、っていうじゃない」
「多生の縁」と僕は言う。
「それそれ」と彼女は言う。「どういう意味なの?」
「前世の因縁――たとえささいなことでも、世の中にまったく偶然というものはない」
彼女は黄色いスーツケースの上に座り、手帳を手に持ったまま、それについて考える。「うん、そいつはひとつの哲学ではあるわね。そういう考えかたも悪くないかもしれない。リインカーネションというか、ちょっとニューエージっぽいところはあるけれどね。でもさ、田村カフカくん、このことは覚えていてね。私は誰にでも簡単に自分の携帯の番号を教えるわけじゃないのよ。私の言いたいことわかる?」
ありがとう、と僕は言う。僕はその電話番号を書いた紙を折りたたんでウィンドブレーカーのポケットに入れる。それから思いなおして財布の中に入れる。
「君はいつまで高松にいるの?」とさくらはたずねる。まだわからない、と僕は言う。なりゆきでたぶん予定は変わってくるから。
彼女は僕の顔をじっと見る。少し首をかしげる。まあいいや、というふうに。そしてタクシーに乗りこみ、軽く手を振ってそのままどこか行ってしまう。僕は再びひとりぽっちになる。彼女の名前はさくらで、それは姉の名前ではない。でも名前なんて簡単に変えられる。とくに人が誰かから姿を隠そうとしている場合には。

僕は前もって高松市内のビジネス・ホテルを予約しておいた。東京のYMCAに電話をかけて、そのホテルを紹介してもらった。YMCAをとおすと料金がとくべつに安くなるということだった。ただしそのサービス料金は3泊で終わってしまう。そのあとはふつうの料金を払わなくてはならない。

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