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[资源共享] ★日本宪法第09回 平等権―憲法第14条―

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发表于 2008-4-23 22:21:59 | 显示全部楼层 |阅读模式

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日本国憲法は、平等原則に関する一般的規定として第14条を、選挙権に関して第15条を、家族生活における男女平等について第24条を、教育を受ける権利に関して第26条を、参政権の平等について第44条を置く。なお、憲法が世襲天皇制を採用するために、若干の例外規定も存在する。

  憲法第24条の下で、民法第四編第五編は全面的に改正され、財産法に関する規定の一部も改正された。なお、この第24条は、家族生活の諸関係に関する基本規定であり、婚姻制度の制度的保障、相続権などに関する根拠的規定であることにも、注意を要する。

 

1.平等の意味

  形式的平等:現実に見られる人々の差異を一切捨象して原則的に一律平等に扱うこと。選挙権の行使(投票権)に関してはとくに要請される。また、国公立大学の入学試験についても要請されるであろう(但し、アメリカ合衆国におけるaffirmative actionの問題がある)。

  affirmative actionとは、女性や黒人など、歴史的に差別を受けてきたグループに対し、大学入学や雇用などに関し、特別枠を設けて優先的な処遇を与えることをいう。日本においても、affirmative actionに類似するものとして、被差別部落解消のための同和対策やアイヌ民族の保護政策などの特別措置が存在する。これは、形式的な平等によっては機会を与えられない(あるいは、与えられたとしても成就しえない)少数者グループに積極的に機会を与え、それによって実質的に平等を担保しようとする処置であるが、行きすぎると逆差別となる。

  実質的平等:現実に見られる人々の差異に着目してその格差是正を行うこと。配分の均等、結果の均等を意味する。日本国憲法第14条は、第一次的には形式的平等を規定するものであるが、実質的平等を相当程度にまで受け入れる規定であろう(第25条も参照)。

  相対的平等:形式的平等とはいえ、あるいは実質的平等であっても、絶対的平等を要求することは不可能である。結局、等しいものは等しく、等しくないものは等しくないという扱いを要請する相対的平等が、憲法のいう「平等」の意味である。つまり、合理的区別(差別)は認められ、不合理な差別は認められないということであるが、この区別に関する明快な基準はない。

  現在、実質的平等と相対的平等は、日本において、そして世界において、重大な危機にさらされている。

  近年、日本国民の間での経済格差(資産格差、所得格差)の増大が問題となっている。経済的不平等の度合いが強くなっているということである。

  このことを最初に、本格的に指摘したのが橘木俊詔『日本の経済格差―所得と資産から考える―』(1998年、岩波新書)である。橘木教授は、国民間の所得格差を中心として議論を進めている。大分大学時代に日本国憲法の講義でこの本の内容を紹介したこともあるし、以前からこのノートで取り上げているが、改めて、ここで要約的に紹介しておこう。

  所得の分配における平等の度合いは、課税前所得(当初所得)と課税後所得(再分配所得)とに分けた上で、ジニ係数という指標を用いて測る。橘木教授によれば、日本は、以前からヨーロッパ諸国などに比べてジニ係数が高く、不平等の度合いが高かったが、1980年代には当初所得についてジニ係数が0.4を超えた。これは、アメリカ合衆国とほぼ同等の数字である。それとともに、この10年間に上昇した幅が大きく、1990年代前半には、日本は、ヨーロッパ諸国などは勿論、アメリカ合衆国と比較しても、不平等な社会を抱えるようになった、否、先進諸国の中でも最高の不平等度である。昨今、福祉社会の実現が叫ばれてはいるのであるが、所得格差という観点に立てば、日本は従来から福祉国家でないし、福祉国家との距離はますます広がっているということになる。もっとも、日本においては、福祉社会の実現は叫ばれていても、それは1980年代のいわゆる土光臨調が打ち出した「日本型福祉社会」に由来するものであり、介護保険制度に顕著であるように、福祉のよりどころは国家でなく家庭におかれ、「自立」が強調されているのであって、福祉国家の実現は遠ざけられている。

  現在、所得税減税、法人税減税、消費税の福祉目的税化などの「抜本的」改革の必要性が盛んに説かれているが、具体的な進め方次第では、政治の世界などにおいて唱えられている福祉の充実どころか、不平等性の拡大につながりかねない。

   格差社会論については、21世紀に入ってから是非などが激しく議論されるようになった。おそらく、私が大東文化大学法学部に勤務するようになった2004年か2005年からの現象であろう。日本における経済格差の増大を否定する議論も根強く、日本国政府も最近までは正面から経済格差の増大を認めない立場にあったと思われるが、貧困率の増大、ワーキングプアの問題(既にアメリカで長らく存在する問題であるが、日本でも本格的に議論がなされ始めた)などが顕著になり、国際的な統計によっても日本の貧困率が世界有数のものになっていることを、ここで認識しておかなければならない。

  経済格差の拡大、貧困率の増大については、それこそ枚挙に暇がないほどに多くの本が出版されているが、このノートでは、1990年代のものとして、伊東光晴 『「経済政策」はこれでよいか―現代経済と金融危機―』(1999年、岩波書店)を、最近のものとして、日本弁護士連合会編『検証  日本の貧困と格差拡大―大丈夫? ニッポンのセーフティネット』(2007年、日本評論社)を、とくに推奨しておきたい。

  実質的平等と相対的平等については、租税法制度を例としてさらに議論などを続けてみたい。

  例えば、所得税法において採用される累進課税制度は、納税者の資力に応じて税率を段階別にしている。これは平等の理念に合致する(応能原則として説明しうる)。比例税率を採る消費税が憲法第14条第1項に違反すると主張されるのも、この趣旨である。また、労働条件について女性を優遇すること(産前産後の有給休暇など)も、違憲とは言えない。

  但し、累進課税制度が平等の理念に合致するというのは、あくまでも一般論である。累進の度合いなどの設定次第では、年収が僅かに上昇した程度であっても税率が急上昇することもある。これが重税感につながり、ひいては不公平感にもつながる。また、同じ行政サーヴィスを受けたのに、Aが年収500万円であり、Bが年収5000万円であるからといって納税額が(極端に)異なるのはおかしいのであり、同じ行政サーヴィスを受けているのであるから納税額も同じでなければならないとする考え方も、当然、成立する(応益負担の原則、あるいは受益者負担論)。北野弘久教授は、多くの著書・論文において、日本国憲法においては応能負担の原則しか成立しえないと主張されるが、これは非科学的な色彩を帯びていないであろうか。憲法の解釈からしても、応能原則だけが平等の理念に合致する訳ではない。普段の生活における消費を考えれば容易に理解できるように、応益原則も立派に平等原則に資する。もし、応益原則が憲法における平等の原則に反するというのであれば、十分な根拠に裏づけされた形で主張されなければならない。勿論、応益原則も、実際には立証困難な理論であり、無制約に主張する訳にはいかない。しかし、応能原則を徹底するとなれば、アドルフ・ヴァーグナー(Adolf Wagner)やノイマルク(Fritz Neumark)による租税原則が示すように、非常に複雑な税制を実施しなければならなくなり、国民にとって理解しやすい税制でなければならないという原則からは遠ざかる。また、能力に応じた納税と言っても、その能力をどのように評価するか、などの事項が厳密に検討されない限り、非科学的との謗りを免れない。

  しかし、応能負担原則だけが平等の理念に合致する訳ではないとしても、所得再分配機能(これが弱まれば、結局、景気調整機能なども弱まる)などを考慮に入れるならば、結局、平等を実現するためには応能負担原則を無視する訳にはいかない。むしろ、近年において顕著である応益負担の原則の過度な強調に対しては、重大な疑義を置かなければならない。応益負担の考え方が不要であるとは思われないが、近年の、政府関係者や少なからぬ新自由主義派(新古典主義派)経済(学)研究者などによる応益負担の原則一辺倒(応能負担原則の無視)には、宗教的情熱を帯びているとしか思えない部分がある。かつて、社会主義国家において盛んになされた体制の宣伝(プロパガンダ)あるいは教義(ドグマ)と同様に、科学的であることを自称しているが、具体的なデータはほとんど示されないため、既に信仰あるいは神話の領域に入っている。いつから、経済学や財政学の一部は宗教に化したのであろうか。

  応益負担の原則については、いくつかの観点から批判をなすことが可能であるが、ここでは岡田正則教授の論説を紹介しておく〈「税条例と地方税法」日税研論集46号(2001年、日本税務研究センター)11頁〉。

  岡田教授によると、応益負担の原則が成立するためには「①租税に対応する利益が算定可能であること、②課税標準が移動しないこと、③各地方公共団体がサービス提供と税負担について競争関係にあること、という三つの前提が不可欠だと思われる」。

  しかし、まず①については「公共的サービスから得られる利益の算定については、受益者負担論に関する議論が参考となるが、そこでも明確な算定可能性は断念されている」。これは全くその通りである。応益負担論信者は、利益に応じた負担を唱えるのであるが、そもそも、その利益をどのように算定するのかについて、全く論じていない。おそらく、それは意図的なものであろう。市場であれば適正に評価されるという前提が存在するからである。しかし、たとえば治安維持については、具体的に何円が我々の得る利益であるのか。そして、個人毎にその算定額は異なるのであろうか。同じことは、教育についても言いうる。教育については、勿論、算定可能な部分もある。しかし、それはせいぜい短期的な成果に過ぎないのであり、長期的な効果については未知数であることは言うまでもない。

  ②については、国税ですら、グローバリゼイションの進展によってこの前提が崩れつつあるのに、地方税について成立するとは思えない。岡田教授は、固定資産税のような財産税について「非財産所有者である低所得者ほどサービスの供給コストがかかるのに、税負担は財産所有者が負うという、サービス利益と税負担との間に乖離が生じている」と指摘する。応能負担原則であれば説明可能であるが、応益負担原則では不可能である。そのために消費税などの課税を強化せよということになるのであろうが、消費課税などを強化したところで「サービス利益と税負担との間」の「乖離」が縮小するか否かについては疑問が残る。

  ③については、岡田教授も指摘されるように「住民の移動に関わる問題(就業機会や住居移動のコスト等)を無視した非現実的な議論であ」り、「地方団体間の格差を拡大し、またその公共的役割を無視した議論であ」る。法人であれば、タックス・ヘイヴンに形だけの本社を置けばよいのであろうが、生身の人間ではそのようにいかないであろう。勿論、不可能であるという訳ではないが。また、地方税法の改正により、2007年4月1日より住民税所得割の完全な比例税率化が行われている(実際の徴収は6月以降となる)が、標準税率のために都道府県および市町村には税率決定権の余地が残されているとはいえ、超過累進税率の採用が禁止されている点には、平等以外の観点を含めて疑問が残るし、そもそも競争関係という前提の意味が失われることになるのではなかろうか。

  以上、経済的平等権に関連して実質的平等と相対的平等に関する論述を続けてきたが、これについては、機会を見つけて別に論じることとしたい。

  憲法第14条第1項は「法の下の平等」を規定する。法を執行し適用する行政権および司法権が国民を差別してはならないことは当然であるが、法の内容についての平等も要求すると解すべきである。そうでなければ、結局は無意味となるからである。従って、憲法第14条は立法権をも拘束する。

  そして、憲法第14条第1項後段の意味について述べておく。同項後段には「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」が列挙されているが、これらは歴史的に存在した差別事由であり、その意味においては例示にすぎない。しかし、ここにとくに示された事項に関しては、とくに厳格な審査基準が必要であり(立法目的がやむをえないものであるとすることに関して)、または立法目的が重要であることを要求する「厳格な合理性」の基準が必要であるとする説が有力である〈芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法』〔第四版〕(2007年、岩波書店)128頁を参照〉。しかし、列挙されていない事由であっても不合理な差別であるという場合もあり(議員定数不均衡状態などは、同項の列挙自由のどれに該当するのであろうか?)、とくに列挙事由にこだわる必要はないと思われる(列挙されていない事由については差別の合理性を容易に認めるというのであろうか?)。
 楼主| 发表于 2008-4-23 22:22:40 | 显示全部楼层

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2.男女の平等と判例

  平等に関して、古来、そして現在においても、両性の平等・不平等は重大な問題である。

●日産自動車事件最高裁判所判決(最三小判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁)

  原告(被上告人)の女性Xは、自動車会社Aに勤務していた。この会社では女性の定年が男性と同じ満55歳であった。しかし、Aは昭和41年に自動車会社Y(被告・上告人)に吸収合併され、Aに勤務していた従業員についてもYの就業規則(男性の定年は満55歳、女性の定年は満50歳)が適用されることとなった。Xは昭和44年1月に満50歳になるため、Yは前年12月、Xに対して退職を命ずる旨の予告をした。これに対して、Xは地位保全の仮処分を申請した。この申請は退けられたが、東京地方裁判所および東京高等裁判所は、男女別定年制度の合理性を否定し、この制度が公序良俗に違反するために民法第90条によって無効であると判断した。  最高裁判所第三小法廷も同旨の判断を示している。

  最高裁判所の判決においては、参照条文として憲法第14条第1項および民法第1条ノ2(現在は第2条)が示されており、私人間の法律関係については憲法の人権関係規定を間接的に適用することが明らかにされている。

●最三小判平成7年12月5日判例時報1563号81頁

  民法第733条第1項に規定される女性の再婚禁止期間の故に婚姻の届出が受理されるのが遅れ、これによって精神的被害を受けたとする上告人(女性)が、国に対し、憲法第14条第1項および第24条に違反する民法第733条の削除または廃止の立法をしない国会の行為(不作為)、および民法第733条の削除または廃止を求める法律案を提出しない内閣の行為(不作為)が、違法な公権力の行使に当たるとして、国家賠償法第1条に基づいて損害賠償請求をした。

  最高裁判所第三小法廷は「合理的根拠に基づいて各人の法的取扱いに区別を設けることは憲法14条1項に違反するものではなく、民法733条の元来の立法趣旨が、父性の推定の回復を回避し、父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにあると解される」として、請求を棄却した(判決においては憲法第14条のみが引き合いに出されており、第24条は言及されていない)。

民法第733条第1項に定められる女性の再婚禁止期間は100日で足りるという見解が、憲法制定過程の前後の頃から強く主張されており、1996年の法制審議会民法部会改正案要綱では100日に短縮されることになっている。再婚禁止期間自体の合理性に対する疑問も提出されている。判決については、ほとんど論証抜きに近い形で簡単に合憲性を認めていることが問題であろう。

  この他、民法第731条に規定される婚姻適齢における男女の区別を全廃し、同第750条に規定される夫婦同氏の原則を修正して夫婦別姓をも認めることとされている。但し、私は、夫婦別姓の認容が本当に男女の平等に合致するかどうか、疑問を抱いている。

 

3.社会的身分と判例

  ここにいう社会的身分は、生来の身分、あるいは自己の意思によって離れることが不可能な固定的な地位というように狭く解する説もあるが、判例は、人が社会において一時的にではなく占める地位と広く解する。その中間として、人が社会において一時的にではなく占める地位であって、自己の意思によって離れることが不可能であり、事実上の社会的評価を伴うもの、と解する見解もある。ここに列挙されたものについて「厳格な合理性」の基準を必要とする説を採るのであれば、社会的身分を狭く解することになるのかもしれないが、私は、社会的身分をことさらに狭く解する必要がないと考えているため、判例の立場を採用しておく。

●最大判昭和48年4月4日刑集27巻3号265頁

  被告人(女性)は、中学校2年生の時に実の父親から姦淫されて以来、10年以上にわたって夫婦同然の生活を強いられた(数人の子どもをもうけたという)。彼女は、職場で正常な結婚の機会に巡り合うが、これを知った実の父親が彼女を脅迫虐待し、彼女は実の父親を殺害した。これが、尊属殺に関する刑法第200条に違反するとして起訴された。

  最高裁判所大法廷は、刑法刑法第200条につき「尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値する」から、このような規定を設けることが直ちに合理的な根拠を欠くとは言いえないが、「加重の程度が極端であって、前示のごとき立法目的の達成の手段としてはなはだしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえない時は、その差別は著しく不合理なもの」であり、刑法第200条はこのようなものとして違憲であるとした。この判決の少数意見は、刑法第200条の規定が「一種の身分制道徳の見地に立つもの」と考え、尊属殺に関する規定を置くこと自体を違憲と考えている。

  なお、刑法第200条(そして同第205条第2項)は削除されており、同第220条も改正されて尊属逮捕監禁罪も削除された。

  刑法第205条第2項は、尊属傷害致死に関する規定であった。最高裁判所はこの規定を合憲と解していた(最一小判昭和49年9月26日刑集28巻6号329頁など)。尊属逮捕監禁罪については、最判昭和33年10月24日刑集12巻14号3392頁を参照。

●最大決平成7年7月5日民集49巻7号1789頁

  この事件においては、非嫡出子に嫡出子(民法第772条以下、第789条を参照)の2分の1の法定相続分しか認めない民法第900条第4号但書の合憲性が争われた(但し、この事件において実際に遺産分割の審判を申し立てたのは、非嫡出子自身ではなく、その代襲相続人である)。

  最高裁判所大法廷は、民法第900条第4号につき、民法が法律婚主義を採る以上、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整とを図ったこの規定の立法理由には十分な根拠があるとし、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えていないとして、合憲と判断した。

  これに対し、反対意見は、非嫡出子の保護という立法目的が逆に非嫡出子差別の観念を社会に与えているとして、合理性を欠くと述べている。また、反対意見は、市民的及び政治的権利に関する国際規約第26条、児童の権利に関する条約第2条をも引き合いに出している。

  学説にも、この最高裁判所決定に批判的な見解が多い。私自身は、民法第809条により、養子が養子縁組の日から「養親の嫡出子たる身分を取得する」とされていることが、非嫡出子との均衡を失するのではないか、と考える。

  なお、法定相続分は一応の基準であり、第902条により、法定相続分と異なる相続分を定めても良い。私は、この点を、大東文化大学および西南学院大学の講義「税法」において、民法第961条(満15歳以上の者に遺言能力を認める規定)とともに強調している。ここで理由を記す必要はないであろう。

●最二小判平成15年3月28日判時1820号62頁
  平成12年9月、訴外Aが死亡し、相続が開始された。その折に、嫡出子2名と非嫡出子2名が、Aの遺した預金の相続をめぐって対立した。事件は、金融機関を相手にした法定相続分による払い戻し請求と、相続人の間における預金債権の帰属の確認請求とからなり、非嫡出子2名が上告人、嫡出子2名および金融機関が被上告人である。争点は、民法第900条第4号但書の合憲性である。

  最高裁判所第二小法廷は、「非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分の二分の一と定めた民法九〇〇条四号ただし書前段の規定が憲法一四条一項に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁平成三年(ク)第一四三号同七年七月五日決定・民集四九巻七号一七八九頁)」と述べ、上告人の請求を棄却した。これ以上、詳しいことは述べられていない。

  これに対して、梶谷裁判官および滝井裁判官は、最大決平成7年7月5日民集49巻7号1789頁における中島裁判官、大野裁判官、高橋裁判官、遠藤裁判官および尾崎裁判官の反対意見、そして尾崎裁判官の追加反対意見を引用し、補足を行っている。概略を示すと、法制審議会が平成八年二月の答申において民法第900条第4号但し書きを改正すべしとする答申を行っていること、国際人権委員会が民法第900条第4号但書の改正を勧告していることをあげており、さらに「国際化が進み、価値観が多様化して家族の生活の態様も一様でなく、それに応じて両親と子供との関係も様々な変容を受けている状況の下においては、親が婚姻という外形を採ったかどうかというその子自らの力によっては決することのできない事情によってその相続分に差異を設けることに格別の合理性を見いだすことは一段と困難となっている」と述べ、最二小判平成14年11月22日裁判所時報1328号1頁の反対意見の参照を指示している。

  私も、梶谷裁判官および滝井裁判官の反対意見を支持する。理由としては、上述の通り、養子制度との釣り合いが取れないこと、そして、民法第900条第4号はまさに「親の因果子に報いる」を地で行くものであり、出生に何の責任もない子に親のツケをまわすようなものであること、これらをあげておきたい。親は子を選べるかもしれないが、子は親を選べないのである。

●最一小判平成15年3月31日判時1820号62頁
  事案は最二小判平成15年3月28日判時1820号62頁と同一である。判決日などが異なるのは、被上告人の金融機関が異なっているためである(最二小判平成15年3月28日判時1820号62頁の場合は信用金庫、最一小判平成15年3月31日判時1820号62頁の場合は都市銀行)。

  判決(多数意見)は、最二小判平成15年3月28日判時1820号62頁と同じく、「非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分の二分の一と定めた民法九〇〇条四号ただし書前段の規定が憲法一四条一項に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁平成三年(ク)第一四三号同七年七月五日決定・民集四九巻七号一七八九頁)」と述べ、上告人の請求を棄却した。

  これに対して、まず、島田裁判長の補足意見が付されている。これは補足意見となっているが、実質的には意見に近い。島田裁判長は「非嫡出子であるということは、親の一方的な都合によって決まることであって、子自らの意思や努力によって変えることができないことであるから、憲法一四条一項に定める法の下の平等の精神に照らすと、そのことによって嫡出子に比べて不利益を受けることは必要最小限にとどめるべきである」とした上で、合憲性の「判断の正当性は、社会事情や国民感情などの変遷を踏まえて、絶えず吟味していく」べきであるとする。その上で、民法第900条第4号但書の正当性は失われており、遺留分の存在も相続にとって補充的とまで言えないことなどから、同号が「極めて違憲の疑いが濃いものである」と述べる。しかし、同号を違憲と判断するならば「遡及効や関連規定との整合性の問題等について十分な検討と準備が必要である」として、結論として多数意見に同調する。もっとも、島田裁判官自らが「今直ちに違憲無効の判決を出すことについては、やはり躊躇せざるを得ない」と述べ、国会に法改正を期待する趣旨を述べることには、注目してよい。

  次に、深沢裁判官の反対意見が付されている。この意見は、憲法第13条および第14条の規定からして、「家族に関する事項の法」は「個人の尊厳を重視したものでなければならない」とした上で、民法第900条第4号但書が「非嫡出子を社会的身分を理由として差別することに帰着し、法律婚の尊重・保護の立法目的の枠を超えたものであって、そこに立法目的と手段との実質的関連性はな」いと断定する。そして、最二小判平成15年3月28日判時1820号62頁における梶谷裁判官および滝井裁判官の反対意見と同様に、国際人権委員会による勧告などを取り上げ、民法第900条第4号但書を違憲無効と判断するならば生じうる混乱について「最高裁判所の違憲判決が社会的に大きな影響を及ぼすことは、その性質上、避け難いところであって、違憲判決の結果、新たな対応をする必要が生じた場合には、関係機関が速やかに適切な措置をとるべきことは、憲法が最高裁判所に違憲立法審査権を付与した当然の帰結というべきものであ」ると述べる。

  さらに、泉裁判官による反対意見が付されている。この意見は、民法第900条第4号の立法目的を正当なものと評価しつつも、非嫡出子の相続分を嫡出子の半分とする「手段が上記立法目的の促進に寄与する程度は低い」と評価する。その上で、「嫡出でない子が被る平等原則、個人としての尊重、個人の尊厳という憲法理念にかかわる犠牲は重大であり、本件規定にこの犠牲を正当化する程の強い合理性を見いだすことは困難である」と述べる。

  深沢裁判官の反対意見は、違憲立法審査制度に対する深い理解を示すものと評価することができるであろう。また、泉裁判官の反対意見は、非嫡出子が実際に受ける社会的評価に基づく差別に着目した、妥当な意見と言いうる。

●大島サラリーマン税金訴訟(最大判昭和60年3月27日民集39巻2号247頁)
  私立大学の教授であった原告(・控訴人・上告人。上告後に死亡)は、給与所得(所得税法第28条を参照)とは別に雑所得があったが申告しなかった。このため、被告税務署長は、無申告加算税などの賦課決定処分をした。原告は不服申立てをしたが認められず、出訴した。原告は、給与所得課税について、必要経費の実額控除が認められない(事業所得などにおいては認められる)、給与所得控除が認められるとしてもその控除額が必要経費を下回っていること、源泉徴収制度によって給与所得の捕捉率が他の所得に比して著しく高いこと、給与所得以外の所得者に対しては租税特別措置による利益が与えられるなどを主張し、著しく不公平な所得税負担を課すものであると主張した。

  最高裁判所大法廷は「租税法の分野における所得の性質の違い等を理由とする取扱いの区別は、その立法目的が正当なものであり、かつ、当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができない」から憲法第14条に違反しないと述べた上、給与所得者に関して必要経費と家事上の経費などとの区別が困難であること(支出形態や支出額が各人によって異なる)、給与所得者が非常に多く存在するので各自の必要経費の額を個別的に認定して実額控除を行うの方法などが技術的に困難であること、給与所得に関して概算控除制度を設けたのは事業所得者などとの租税負担の均衡を図るためであること、給与所得における必要経費の額が給与所得控除の額を明らかに上回ると認めるのは困難であることなどを理由として、原告の請求を棄却した。

  この判旨に対しては、実額控除制を採用した時に予想される弊害を過度に強調していないか、などの批判がなされている。

  実際問題として、給与所得者に対して実額の必要経費控除を行うことは、非常に困難であろう(そのために、一定の額を超えない場合には確定申告を要しないものとされる)。しかし、所得税の捕捉率は、所得形態毎に異なることも否定できない。

  《用語などについて》

  雑所得とは、所得税法に類型化されていない所得をいう。所得税法第35条によれば「公的年金等」とその他の雑所得(原稿料、講演料など、雑多である)とに分かれる。なお、所得税法第57条の2は、特定支出の額が給与所得控除の額を超える時に、特定支出の控除を認めている。

  また、給与所得税の捕捉率が他の所得と比較して著しく高いことが度々指摘される。いわゆる9・6・4、または10・5・3・1の問題である。なお、給与所得者であっても、確定申告をしなければならない場合がある(所得税法第121条などを参照)。また、利子所得、配当所得、退職所得は、源泉徴収の対象とされる。

●堀木訴訟最高裁判所判決(最大判昭和57年7月7日民集36巻7号1235頁):社会権に関連するので、第19回において扱うこととする。

 
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4.議員定数不均衡と判例

  憲法第15条第3項にいう「普通選挙」は、国民・住民に、一般的に選挙権を与えるものである。従って、(少なくとも日本国籍を有する選挙権者のうちで)政治的・経済的・社会的理由による選挙権の排除を一切認めない(納税額による投票権の特権などは認められない)。このことから、投票権は各国民・住民に一票ずつという原則(公職選挙法第36条)が導かれる。また、投票価値の平等も強く要請される(一人一票であっても、結果的に票に格差が現われてはならない)。また、投票権の平等・投票価値の平等は、民主制を支える重要な権利である。

  また、投票権の平等・投票価値の平等は、徹底した人格の平等を基礎としており、非常に形式化された平等でなければならない、とされる。学説・判例においては、選挙区制などの非人口的要素(国民の意思を公正かつ効果的に代表するために考慮される)も認容されているが、これは決して明確なものではなく、逆に議員定数不均衡を容認する理由にも使われかねないと思われる(もし、甲選挙区と乙選挙区との格差が1対2であるとするならば、乙選挙区の国民・住民は一人当たり二票を行使するのと変わらない)。学説の多くは1対2以上の較差を違憲とする見解が多いが、これは、投票権の平等・投票価値の平等に徹底した形式的平等が要請されるという立場に他の要素を持ち込むもので、主張が一貫しない(1対2以上というが、その中に1対2を含むか否かが判然としない)。可能な限り、1対1でなければならない、ということになるであろう。

  ▲しかし、本当に1対1が望ましいのか?―地方の大学に勤務していた行政法学者から憲法学者への問い―

  実際のところ、憲法学者の間でも、1対2以上の較差を違憲とする見解が強いとは言え、それ以下の較差、例えば1対1.5であれば許されるのか、それとも、厳格に1対1を求めるのか、見解は分かれるようである。

  選挙区制を採用する限り、定数の不均衡を完全に解消することは難しい。とくに、小選挙区制の場合、人口比に応じて定数を配分するならば、選挙区の面積に極端な差異が生じてしまう。都市部の場合であれば、人口の割に選挙区の面積は比較的狭くなるが、そうでない地域の場合、面積は広大なものとなる。こうなった場合、小選挙区制によって、かえって選挙のための費用が増大することになりかねない。

  例えば、大分県の場合、衆議院議員選挙で選出される議員の定数は3である。このことから、小選挙区は3区に分かれる。次のようになる(以下は、2004年の段階において記したものであるが、市町村合併が進み、58市町村から18市町村に減少したにもかかわらず、公職選挙法別表第二は市町村合併前の表記のままとなっている。該当の箇所において、2006年11月6日の時点からの注釈を付す)。地図などを参照していただきたい。

  第1区:中核市である県庁所在地、大分市のみで構成される。但し、市町村合併の関係で、北海部郡佐賀関町と大分郡野津原町も編入される可能性がある。

  [注:2005年1月1日、北海部郡佐賀関町と大分郡野津原町は大分市に編入されている。しかし、前述のように、公職選挙法別表第二においては北海部郡および大分郡の表記が残っているため、大分市のうち、旧佐賀関町の部分および旧野津原町の部分は第2区のままである。]

  第2区:日田市、日田郡(天瀬町、大山町、前津江村、中津江村、上津江村)、玖珠郡(玖珠町、九重町)、大分郡(挾間町、庄内町、湯布院町、野津原町)、大野郡(犬飼町、三重町、野津町、大野町、緒方町、朝地町、千歳村、清川村)、竹田市、直入郡(直入町、久住町、荻町)、北海部郡(佐賀関町)、臼杵市、津久見市、佐伯市、南海部郡(弥生町、上浦町、鶴見町、宇目町、蒲江町、本匠村、米水津村、直川村)から構成される。

[注:市町村合併により、次のように再編されている。

  日田郡の天瀬町、大山町、前津江村、中津江村および上津江村は、2005年3月22日、日田市に編入されている。

  玖珠郡の玖珠町および九重町は、いずれの市町村とも合併していない(両町の合併協議が不調に終わったため)。

  大分郡のうち、挾間町、庄内町および湯布院町は、2005年10月1日に合併し、由布市となった(新設合併である)。野津原町については、既に述べたように大分市に編入されているが、選挙区は別となっている。

  大野郡のうち、犬飼町、三重町、大野町、緒方町、朝地町、千歳村および清川村は、2005年3月31日に合併し、豊後大野市となった(新設合併である)。一方、野津町は、2005年1月1日に臼杵市と合併し、臼杵市となった(新設合併である)。

  北海部郡佐賀関町は、既に述べたように大分市に編入されているが、選挙区は別となっている。

  津久見市は、いずれの市町村とも合併していない(旧臼杵市との合併の動きがあったが、不調に終わっている)。

  佐伯市と南海部郡の弥生町、上浦町、鶴見町、宇目町、蒲江町、本匠村、米水津村および直川村は、2005年3月1日に合併し、佐伯市となった(新設合併である)。]

  第3区:別府市、杵築市、速見郡(日出町、山香町)、東国東郡(安岐町、武蔵町、国東町、国見町、姫島村)、豊後高田市、西国東郡(香々地町、真玉町、大田村)、宇佐市、宇佐郡(院内町、安心院町)、中津市、下毛郡(本耶馬溪町、耶馬溪町、山国町、三光村)から構成される。

  [注:市町村合併により、次のように再編されている。

  別府市は、いずれの市町村とも合併していない(ここだけは、当初から合併に関する議論がなされなかった)。

  杵築市、速見郡山香町、西国東郡大田村は、2005年10月1日に合併し、杵築市となった(新設合併である)。

  速見郡日出町は、いずれの市町村とも合併していない(旧杵築市などとの合併協議から離脱したため)。

  東国東郡の安岐町、武蔵町、国東町および国見町は、2006年3月31日に合併し、国東市となった(新設合併である)。一方、姫島村は、いずれの市町村とも合併していない(東国東郡各町との合併協議から離脱したため)。

  豊後高田市と西国東郡の香々地町および真玉町は、2005年3月31日に合併し、豊後高田市となった(新設合併である)。一方、大田村は、既に記したように杵築市および速見郡日出町と合併した。

  宇佐市と宇佐郡の院内町および安心院町は、2005年3月31日に合併し、宇佐市となった(新設合併である)。

  下毛郡の本耶馬溪町、耶馬溪町、山国町および三光村は、2005年3月1日、中津市に編入されている。]

  第2区について記すならば、地図上でも、相当に広大な領域となることがわかる。福岡県と境を接する日田市から宮崎県と境を接する蒲江町(現在は佐伯市)までは、大分自動車道・東九州自動車道経由(一旦、第3区である別府市、そして第1区である大分市を通過することとなる)で150kmを軽く超える道のりとなる(日田市から大分市まででも90㎞ほどである)。日田市から竹田市に向かうには、一旦、熊本県阿蘇郡南小国町および小国町に出るほうが早い。このように、同じ県内といえども移動だけで大変な話となる。そればかりでなく、地域的な結びつきなどが稀薄な場合もあるため、問題は多いと思われる。このような選挙区から議員を1名だけ選出するということ自体、無理があるのではなかろうか。同様のことは、離島地域などについても妥当するであろう。

  第2区に比べれば、第3区のほうが地域的まとまりが強い。もっとも、これも比較的にそうであるというだけの話である。やはり、面積は広大である(第2区より狭いが)。

  憲法第43条によると、衆議院議員であれ参議院議員であれ、国会議員は国民の代表であり、地域、より具体的には選挙区の代表ではない。事実としては選挙区の代表であるとしても、それは法的に全く意味を持たない(意味があってはならない)。とは言え、人口比のみで選挙区の定数を決める場合、定数に比して選挙区の面積が広大であるならば、選挙活動の費用が問題となるであろう。そればかりでなく、立候補の自由、そして選挙人の投票の自由を狭める危険性もある(これは、電子投票制度が導入されることによって解決されるような問題ではなかろう)。

  このように考えると、首都圏などの都市圏とその他の地域(とくに過疎地域)との人口較差が縮小しない限り、小選挙区制は問題の解決とならないのではなかろうか。本来であれば、大選挙区制、または比例代表制のほうが、地域間格差という点についてあまり問題のない制度であると考えられうる。しかし、国会議員の定数が減少される傾向にあり、増加の見込みが全くない以上、大選挙区制または比例代表制が完全に採用されることはありえないと思われる(仮に可能性があるとしても、大都市圏などに限定されるであろう)。

  そうなると、選挙制度の変更をするとして、可能性があるのは、(1)都道府県単位での完全な比例代表制、(2)都道府県単位での大選挙区制、ということになる。もっとも、いずれの場合であっても、問題は残る。

  なお、中選挙区制の復活が主張されるかもしれないので、ここで少しばかり、私の見解を述べておく。結論を先に言えば、中選挙区制の復活は無意味であるばかりか、有害である。加藤秀次郎『日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか―』(2003年、中公新書)において明確に、そして何度も述べられているように、中選挙区制は日本独自の制度であり、しかも、他国では全く理解されないと言ってもよいものである。一つの選挙区から複数の候補者が当選するのに、投票人は一人の候補者にしか投票できないからである。これが、派閥政治などを助長し、選挙に不正などをもたらしたことは、厳然たる事実である。他国では、複数の候補者が当選するのであれば、投票者は候補者に順位をつけて複数の候補者を選択できる。これは、一人一票の原則を破るものではない。

●最大判昭和51年4月14日民集30巻3号223頁
  衆議院議員選挙に関連する代表的な判決である。当時、最大較差が1対4.99になっていた1972(昭和47)年12月10日の総選挙に関し、この選挙が選挙権の平等という憲法上の要請に違反していることを認めた。しかし、違憲だから即無効としても違憲状態は是正されないことを理由として、選挙自体を無効とはしなかった。これは、いわゆる事情判決の法理(行政事件訴訟法第31条第1項)を援用していることからの帰結である。しかし、公職選挙法第219条第1項が明文で行政事件訴訟法第31条第1項を「準用せず」(従って、適用もしない)と規定しているにもかかわらず、事情判決の法理を一般的法理としていることに問題がある。また、違憲の宣言に留まっていることで、その繰り返しに終わるという可能性も否定できない。

  この他、最大判昭和58年4月14日民集37巻9号1243頁、最大判昭和60年7月17日民集39巻5号1100頁、最判昭和63年10月21日民集42巻8号644頁(1対2.92を憲法違反でないと判示した)、最大判平成5年1月20日民集47巻1号67頁(1対3.18を憲法違反でないと判示した)がある。

●最大判平成8年9月11日民集50巻283頁
  1992年7月26日に参議院議員選挙が行われた。この時、最大較差は1対6.59(島根県選挙区と神奈川県選挙区)となっていた。これについて、最高裁判所は「参議院(選挙区選出)議員の選挙制度の仕組み、是正の技術的限界、参議院議員のうち比例代表選出議員の選挙については各選挙人の投票価値に何らの差異もないこと等を考慮しても」平等という観点からして「もはや到底看過することができないと認められて程度に達して」おり、「本件選挙当時、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたものと評価せざるを得ない」と判断した。しかし、そのような状態に至るまで「国会が本件定数配分規定を是正する措置を講じなかったことをもって、その立法裁量権の限界を超えるものと判断することは困難である」として、本件定数配分が憲法違反であると断じえない旨を述べ、原告(控訴人・被上告人)の請求を棄却した。

  以前から、参議院議員選挙については「一票の格差」が衆議院議員選挙に比較しても大きく、問題とされていたが、正面から定数配分を違憲であると判断した判決(最高裁判所)は存在しない。例えば、参議院議員選挙に関連する代表的な判決であった最大判昭和58年4月27日民集37巻3号345頁は、1977年7月10日に行われた参議院議員選挙当時の最大較差1対5.26について、当時の参議院地方区(現在の「選挙区」。都道府県単位)の「地域代表性」、および参議院議員選挙に見られる半数改選制を重視し、立法府の裁量を広範に認めて、合憲判決を下した。参議院地方選挙区の地域代表性的性格と参議院全国区(現在は比例代表区)の職能代表的性格を前提として衆議院議員選挙との相違を強調しているのであるが、これについては大きな問題があると言わざるをえない。憲法第43条は、衆議院議員も参議院議員も「全国民を代表する選挙された議員」であるとしか規定していないのである。仮にこうした特殊性を肯定するにしても、何故にこのような格差が正当化されるのか、十分な根拠は全く示されていない。しかも、この時の選挙には、選挙人の多い選挙区の議員定数が、選挙人の少ない選挙区の議員定数よりも少ないという現象まであった。これについても、参議院議員選挙の特殊性などによって合理化することはできないはずである。

  一方、最大判平成8年9月11日民集50巻8号2283頁は、1対6.59という最大較差について、違憲と評価しうる状態にあると判断した。この点については画期的な判決である。しかし、この状態に至らせた国会の立法裁量権については逸脱・濫用を認めず、合憲であると判断している。このため、中途半端な判断となっている。

  ▲参議院の性格

  詳しいことについては機会を改めて述べることとしたいが、日本の場合、第二院たる参議院の性格は中途半端なものであるという趣旨の指摘が度々なされている。歴史的にみても、日本国憲法の草案の段階において、GHQは衆議院のみの一院制を考えていたとのことである。これに対し、日本政府は、大日本帝国憲法の経験なども踏まえ、二院制を主張した。そのために、同じ国民代表としての性格を有する衆議院と参議院との二院制になったのである。

  参議院が置かれることのメリットとして、衆議院における審議が慎重に行われやすくなるという主張が聞かれる。たしかに、そのような面は認められる。日本国憲法において、両院は原則として対等であるからである(第59条第1項を参照)。

  大日本帝国憲法において、衆議院と貴族院は完全に対等であった。これに対して、日本国憲法は、法律案の議決(同第2項)、予算案の議決(第60条)、条約の締結に対する承認(第61条)、および内閣総理大臣の指名(第67条第2項)については、衆議院の優越が規定される(予算案に至っては、衆議院が先議権を有する)。このため、両院が原則として対等であると述べると、憲法学の教科書などの説明と異なるために、違和感を覚えられる方も多いであろう。

  しかし、加藤・前掲書122頁は、次に示すように的確な指摘をなす。

  「衆議院は一般にいわれるほど『優越』しておらず、参議院の権限がかなり強い」。「『衆議院の優越』という漠然たるイメージと憲法の細かい規定にはズレがあり、ここではそれを無視できない。」

  「憲法の教科書的説明では必ず『衆議院の優越』が語られ、一般でも参議院は衆議院と同じ決定を下す『カーボン・コピー』と語られる。しかし、そのようなイメージとは違って、わが国の参議院は第二院としてはきわめて強い権限を有している。つまり、首相指名、予算案、条約批准でこそ衆議院の優越が明確だが、法律案の処理では衆参が対等に近いのである。参議院で法律案が否決されると、衆議院は三分の二の特別多数でないと再議決できず、それは事実上、不可能に近いから、法律案の議決については、参議院は対等の存在だということである。/参議院が衆議院の『カーボン・コピー』のようになっていったのは、与党が努力してその態勢を整えてきた結果のことである。」(/は、原文における改行箇所)

  衆議院の優越が現れているとされているものは、イギリスの議会制度に倣ったものであるが、イギリスの場合は下院(庶民院)と上院(貴族院)とに明確な違いがあるので、下院の優越に合理的な説明が可能である。日本の場合は、衆議院と参議院が同じ国民代表機関としての性格を有するので、優越に合理的な説明を加えるのが少々困難である。憲法で、両院の議員の任期に差を設け、衆議院についてのみ解散―これも、元々は国王が有する対抗的な権限であった―を規定していることによって、その時々における国民の意思を反映することができるという程度の説明になるのであろうか。しかし、これでも参議院の存立根拠としては弱い。

  上掲の最大判昭和58年4月27日民集37巻3号345頁は、参議院に地域代表制的な性格を認めた。アメリカ連邦議会の上院、ドイツの連邦参議院などは、この地域代表的な性格(連邦を構成する国家としての州の代表としての性格)を有する。当時の最高裁判所(日本)の裁判官がどのような議論を参考にしたのかは不明であるが、参議院の存在価値を上げるためには、この地域代表制的な性格を憲法において明らかにするという方法が考えられる。とくに、道州制など、都道府県の再編に関する議論が高まっている現在において、その是非はともあれ、都道府県合併などによる新たな制度が誕生するならば、参議院に関する見直しは必須である。とくに、性質における衆議院と参議院との差異を明確にするためには、単に法律の改正で済ませるのではなく、憲法改正に踏み込まざるをえない。

●最二小判平成11年1月22日判例時報1666号32頁
  東京都千代田区は、公職選挙法第271条第2項に基づき、東京都議会によって「千代田区が我が国の政治的、経済的中枢として担っている独自の意義、役割及び特別区制度における地域代表としての議員の必要性等を考慮して」特例選挙区として存置された。そのため、平成7年10月実施の国勢調査に基づく人口調査との関連で、1997(平成9)年7月6日に行われた東京都議会議員選挙において、千代田区とその他の選挙区との最大較差は1対3.95であり、逆転現象も生じていた。このため、この特例選挙区存置が争われた。

  最高裁判所は「千代田区選挙区の右配当基数は特例選挙区の設置が許されない程度には至っておらず、他に、東京都議会が、本件改正後の本件条例において千代田区選挙区を特例選挙区として存置したことが社会的通念上著しく不合理であることが明らかであると認めるべき事情もうかがわれ」ず、東京都議会に「与えられた裁量権の合理的な行使として是認することができる」と判示した。これに対し、福田博裁判官は「東京都の特別区制が設けられて以降、千代田区は常に国政の中心地であったのであって、そのことで当初から特別扱いされてきたわけでなく、いずれにせよ、投票価値の平等という基本原則からの大幅なかい離を認める根拠とはなりえない」などとして、特例選挙区存置を違法とする。

  なお、この他、地方公共団体の議会議員選挙に関する判例として、最一小判昭和59年5月17日民集38巻7号721頁がある。これも東京都議会議員選挙に関する判決であり、最大較差1対7.45(特別区間の最大較差は1対5.15)を違憲と判断している。但し、選挙そのものは無効とされていない。
发表于 2009-1-6 10:51:57 | 显示全部楼层

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